はじめに
通常のレシピは料理名が先に来て、材料や分量、作り方、解説と続く。料理名からはじまるのがレシピの基本的な形式だと言える。これを、逆とは言わないまでも、材料名から始めて、最後に料理名が来るレシピを書こうと思う。タイトルに逆引きと付したが、本来の逆引きとは意味が違うのは承知の上である。実際我々が生活の中で料理をする時には、料理名が決まってから食材を選んでいくよりも、まず食材が先に来て、それからそれをどう調理しようと考える頻度が高い。スーパーに行って、キャベツが安いな、キャベツをどうやって食べようかな、回鍋肉にしようかな、という具合だ。だから、レシピ本の中でも趣味性の低い、生活の中での料理で、このような逆形式のものが求められる。言ってしまえば、日々の食卓を預かる主婦を読者層として設定しているようなレシピ本コーナーでは、「キャベツを使ったレシピ100選」「もう飽きたとは言わせない豚肉レシピ25」「冷凍野菜でここまでできる日々のおかずアイディア100」「薄めニットで高見え間違いなし 春の着回しコーデ7パターン」といったタイトルが並んでいる。だから、日常的にインド料理を考えて、作っている僕が、インド料理でそれをやっても問題はなかろうと思うのだ。実際のところ、僕ひとりで、たとえばキャベツを使ったインド料理を20個も30個も紹介するのは大変で、一個の食材に対して一つのレシピを提示することになる。せっかく紹介するのだから、できれば簡単で、今日にでもスーパーに行って食材を買って作れるようなものがいい。レシピとして提示するもの以外にも、他にはどんなものがあるかを文中で匂わせることはあろうかと思うし、もしかすると別項を立てていくつかレシピを紹介するかもしれない。逆形式でインド料理を扱うことの利点は、日々のおかずに困らなくなる便利さではなく、食材の特性と、それがインド料理でどう活かされ得るかを中心に据えられることだ。これが楽しいと思える人には、是非楽しんでいってもらいたい。
卵、ああ卵
おいしくて安く、栄養価も高い上に常温で保存できて腐りにくい。卵は、日々のタンパク源としては完璧も近い。そんな卵を、インド料理ではどう使うのが良いだろうか。食材として考えたときの特徴はやはり、ダシが出ないことだろう。渡辺玲氏は、卵は肉と違ってダシが出ないから、グレイビー自体の味を強くするべきと書いている。水に肉をドボンと入れて煮込めばシチューになるが、卵を水で煮込んでもゆで卵かポーチドエッグになるだけで、茹で汁にダシは出ない。正確に言えば、ゆで卵を作った後の水は独特の匂いがして、何かの成分が流出しているはずなので、全くダシが出ないわけではない。ポーチドエッグならなおのこと白濁した茹で汁が残る(酢を入れていれば酸っぱい匂いもする!)ので、卵からダシが全く出ないわけではない。魅力的でそれを料理として活用したくなるようなダシが出ないのだ。当たり前の話だが、卵自体には味があるので、卵そのものが口に入れば味はする。温めた汁に卵を溶き入れればかき玉になり、卵があまねく行き渡った汁の味は増すだろう。卵によって汁全体の旨みが増しているので、実質ダシが出ていると言えるだろうか。実はインド料理でもかき玉や卵とじに近い使い方はある。ダルに溶き卵を加えることがある。今はなき名店ダバインディアで、確か皮付きムングダルに卵を加えたカレーを出していたはずだ。おいしかったが、すごくしょっぱかったのを覚えている。おそらく探せば他にも、卵を溶いて汁(カレー)全体に行き渡らせる使い方は見つかるだろうと思う。炒め物なのでダシとは違うが、スリランカのコットゥロティでも、炒り卵というか卵とじというか、そういう使い方をする。コットゥロティは、焼いて余ったロティを刻んで野菜や肉と一緒に刻みながら炒め合わせたようなもので、卵は溶かれ、刻まれ、混ぜ合わされて全体に溶け込む。これはほとんど、卵で全体の味を膨らませるかき卵がごとき発想だといえよう。
卵は口に入れば味がするが、煮込んだ汁、グレイビーにはそれほど影響を及ばさない。これはもう肉の仲間として捉えるのではなく、野菜の一種として捉えると良い。一度平たい目で卵を眺めてみると、なるほど確かに卵は肉の仲間ではないように思えてくる。血が出ない。肉汁もない。筋繊維もない。固まった白身はプリッとしてほぐれやすく、黄身も金時豆を潰したものにも近いようにも思える。動物性タンパク質という言葉さえ忘れてしまえば、実は食材としての卵は、豆や野菜に近いものなのだ。言ってしまえば、卵は芋に似ている。実際インドでは卵をベジとして扱うこともある。そもそもインドのベジタリアンは、我々の想像するような修行僧やビーガンのようなものではなく、より多様な在り方がゆるされたものとしてインドに広く根付いている。曰く、肉は食べないけど魚はOK、卵の黄身は食べないけど白身は食べる、ゆで卵の黄身は食べないけどオムレツは食べる、といった具合だ。もちろん厳格なベジタリアンも多く、玉ねぎやニンニクを口にしない人々もいる。まさか食材としての特性から卵は野菜である、だから菜食なのだという論法を持ち出すインド人はいなかろうと思うが、なんとなく、まあ卵ならいいか、と思わせる特徴を卵は持っているとは言えるだろう。
それではどう調理する
汁に味が移らないなら、そもそも汁を作らなければいい。卵そのものを食べれば良い。そう考えるのは要の東西を問わないようで、インドにもオムレツは存在する。ただし、ぽってりと木の葉型にまとめた西洋のオムレツではない。然るべきレストランに行けばそのような木の葉オムレツも食べられようが、そもそもあのようなぽってりとした卵の生々しさは彼らの好むところではなく、しっかりと、はっきりと火を通す調理法こそがインド的である。つまり、オムレツはひら焼きにされるのが一般的で、好みによって、ブラックペッパー、各種マサラ、玉ねぎ・トマト・青唐辛子・コリアンダーなどを加え撹拌し、油を引いた鉄鍋で薄く焼き上げられる。インドの炒り卵はエッグブルジと呼ばれ、オムレツとほぼ同じ構成要素で、薄く丸くするのでなくかき混ぜればそれでエッグブブルジになる。実際はスパイスの傾向や具材の量など、オムレツと違う部分もあるのだが、ほとんど無視して良い程度の違いだろう。インド料理では、とにかく玉ねぎ・トマト・青唐辛子・コリアンダーで味を豊かにする方法が好まれている。インドのオムレツだが、以前ブログで紹介したものがある。
これはインドのオムレツを、日本の厚焼き卵的にアレンジしたものである。ふわっと火を通した卵を四つ折りにする。すかさずぎゅっと押し付けて平板になったオムレツは、その内部に4層を抱いており、それが食感の良さにつながっている。まことにおいしいオムレツで、インド人に食べさせたら喜んだが、インド的な手法ではない。スパイスを使っていないのも、いわゆるインド料理的ではないので、これをインド料理的な卵の活用法だと言うのも気が引ける。気が引けるついでにもう一つ紹介すると、チリパウダーとターメリックだけでまとめたエッグブルジは簡単でおいしく、役に立つ。米にもロティにも合う。
・卵を軽く溶いておく
・フライパンを温めたら多めの油を入れ一旦火を消し、チリパウダー・ターメリック・塩を混ぜ込む。この時にスパイスが焦げないように油の温度を調整されたい
・かき混ぜながらしっかりと固まるまで火を通す。スクランブルエッグのように生っぽく仕上げるのではなく、炒り卵状にすべし
こちらはターメリックとチリパウダーが効いているからか、オムレツに比べて、かなりインド料理的に感じられるのが面白い。このような素朴なレシピは本には載っていない。持つべきものはインド人の友達である。先に述べた具材を足しても良いが、具材を足すことでかえって卵の味がぼやけるので、ここは思い切って具材なしで作りたい。スパイスも、ガラムマサラやブラックペッパーを入れても良いが、あえて2種に絞ることで生まれる豊かな風味を感じたい。卵を焼く、炒める、という料理があるのだから、当然、茹でた卵も存在する。日本と同じ感覚でゆで卵にして食べることはあるし、なんと地域によっては半熟の目玉焼きも存在する。タミルではハーフボイルドと呼び、結構しっかりと生っぽさを残した仕上げかたにもするようである。なぜフライではなくボイルドなのか(油でボイルするのか?)、火の通っていない卵はカッチャー(なま、くらいの意味)ではないのか、衛生的にインドの卵を半熟にして問題はないのか、など疑問が頭を駆け巡るが、あるものはあると納得するしかない。徹底的に火を通してゴムのようになったゆで卵が存在する一方で、たらっと黄身が流れる目玉焼きが存在するのがインドなのである。
やっぱりカレーにしたい
味が出ないからと汁のあるものを避けると、カレーが作れなくなる。インドといえばカレーであり、ある程度の汁気をもったものが食卓の主役に据えられることが多いのだから、このままでは食卓の華がなくなってしまう。ここで冒頭の渡辺玲氏の言及に立ち戻ろう。卵は味が出ないから、しっかりとした味のグレイビーを作る必要がある。しっかりした味を作る材料は何が良いだろうか。一番良いのはチキンカレーで、チキンカレーにゆで卵を入れるか、チキンカレーのグレイビーだけを拝借してゆで卵カレーにしてしまっても良い。これは冗談ではなく、僕は出会ったことこそないが、実際に現地でも行われているテクニックのようで、卵から出ないダシをチキンで補うのは、なるほど解決策として妥当である。家庭でそれを再現するためにまずはチキンカレーを作りましょうと言うわけにもいかない。そうするとやはり、玉ねぎ・トマト・ニンニク・生姜でグレイビーを作り込む必要がある。渡辺玲氏はココナッツミルクも使ってグレイビーの味を強めている。興味のある方は氏の『カレーなる薬膳』を参照されたい。非常に良いレシピだと思う。ただし、作ってみると、こうも思うのだ。ここまで頑張っても結局は玉ねぎ・トマト・ニンニク・生姜の味がするだけで、中身が卵である必要はないではないか。卵の活用法として、卵を使ったレシピとしての必然性、卵でないと生まれない何かが欲しい、と。そんな要望を、ないものねだりと無碍にしないのがインドの広さである。こんなレシピはどうだろう。
・ゆで卵を作って揚げ焼きにする(卵に穴を開けておくと破裂しない)
・残った油にチリパウダー、ターメリック、塩を溶かし込む
・ココナッツミルクを溶かして塩と辛味が強めのグレイビーにする
・揚げた卵を戻して軽く温める
あまりのシンプルさに驚かれたことと思う。これで料理として成立するのだから面白い。揚げ焼きに使った多めの油をそのまま使うので、かなりの油を使うことになる。油は赤く染まり、グレイビーの上に浮かんでいることだろう。塩が薄いと味が決まらないので、少し強めに塩をすることをお勧めする。ゆで卵を一旦揚げ焼きにすることで、卵自体がおいしくなり、しかも表面が炙った蒲鉾のごとく荒れるため、グレイビーが絡みやすくなる。これは米と合わせて食べるべきカレーで、手で崩しながら米と合わせて食べてほしい。店員Aは、米と合わせずにそのままバクバクと食べている。食べてみるとわかる通り、このカレーは、ベジである。もうこれは理屈ではない。感じてほしい。明らかにこれはノンベジではなくベジで、ポリヤルやサンバルなどと盛り合わせて食べたい。これはもう、卵カレーの極北といえよう。ここまで削ぎ落としたものでなくとも、いろいろな方法で「ダシの効いた」グレイビーを作り、そこにゆで卵やオムレツを具材として加えれば立派なカレーになる。ポーチドエッグの要領で、グレイビーに卵を落としても良い。読者諸賢は気が付かれたことと思うが、いわゆるナンとカレーの店のあのトロトロは、まさに卵に向いたグレイビーである。チキンと合わせるとあまりにトゥーマッチなグレイビーも、ゆで卵と合わせると実に良い塩梅になる。そして不思議とターメリックライスに合う。自分でグレイビーを仕込むのが面倒であれば、ぜひ一度ナンとカレーの店に足を運ばれたい。グレイビーと卵が絡み合った、豊かな味に驚くはずだ。卵だけでは腹がふくれぬことと思うので、チキンティッカとひよこ豆のサラダを追加しよう。ナンとカレーの店の最適解をそこに見出すはずだ。