2018/12/29
●FONTANAFREDAのバローロ
赤ワインって、こう、あんまりおいしいと思えなかった。なんだかしっくりこなかった。変に渋いとか、薄いとか、妙にフルーティーとか、アルコールがつんと来る、とか。なんてことはない。僕が安物しか飲んでいなかったよう。この前家に来た変なおじさんが、赤ワインを買ってきた。台所にいて、あれ!!良い匂いがする!!と思って近寄ったら、フォンタナフレッダ社のバローロだった。飲んだら、おいしかった。そうそう、こういうの、と思った。僕が、嫌だな、と思う部分がちゃんとつぶされていた。まるで赤ワインのおいしさを自分が発見したような気持になったけど、そんなわけはない。バローロ。覚えておこうと思って写真を撮った。5000円くらいするらしい。そうか。それくらい出すとおいしいのがあるのか。赤ワインを飲むなら、それくらいのものを平気で買えるような稼ぎが欲しい。そうでないならコノスルで良い。わりとおいしい。まあ一年に一回くらいしか口にしないけど。
●僕の友達
最近できた友だち。男性。一緒にプルプルに行く。話をしていて楽しい。仕事と飲み会とパチンコと風俗の話をしないで、かつ、ペラペラとしゃべる人は珍しい気がする。僕の中で、心の中におばさんが住んでいる、と表現している。なんらかのゲームを介さないと仲良く出来ない人が男には多い気がする。喋るのが好きな僕としては、男の人と話すと、つまらないことが多いのはそのあたりが理由だと思う。たぶん性差がある。
●みんな仲良くしましょう
当然ながら学校なんて嫌いだった。好きな人いるの?と思うけど、実は大半が学校好きと踏んでいる。僕は勉強も運動もできたからぎりぎり通っていたけど、そうでなければ確実に不登校になっていたと思う。何が嫌いって色々あるけど、みんな仲良くしましょう、の空気が嫌だった。その教育の成果か、僕の見てきた範囲では、好きでもない人と恋人になったり、好きでもない友だちと札幌駅で待ち合せてランチをしたり、好きでもないのにアパートで一緒に暮らしたり、好きでもない人と忘年会で魚民に行く、という人にあふれている。多い。ほんとに多い。悩みの大体が、嫌ならやめたら?と嫌なら別れたら?で終わるのもそのせいだと思う。僕はおそらく、生まれつき人付き合いについては冷淡な方。だから、いやならやめたら?と言われたら、ああ確かにそうだよね、と言って納得する。けれど大抵はしない。その人の中の勘定の問題。僕はそのストレスが勝る。働いているとき、仕事が終わった後の飲み会、二次会の家系のラーメン屋で、木肌のテーブルに、チャーシューと葱とビールと餃子が置いてある。柱の横からにゅっと顔を突き出して、麺硬め油抜きで、と注文する上司のおじさんを見て、あ、これはこのまま続けたら死ぬなと思った。比喩じゃなくほんとにそう思った。実際に死んだと思う。あぶなかった。僕はそういう勘定をする。だから嫌いな人とは付き合わないし、付き合えない。付き合えるなら付き合えた方が生きていきやすいとは思う。これはもう体質の問題だから仕方ない。だから、僕は、相談を受けた時、極力、嫌ならやめたら?とか嫌なら別れたら?とは言わないようにしている。生活のために旦那と別れない人もいる。子どものために別れない人もいる。親を心配させないために暮らしを続ける人もいる。そういう時に、ストレスをどう逃がすか。どう自分の立ち位置を解釈するか。パターンとしては、「自分がいないと周りが困ると思い込む」「旦那なんてどうでもよいのよと開き直る」「開き直れないけど愚痴ばかり」などがある。開き直るのが、はたから見ていると、比較的、気持ち良いと思う。悪役になることを厭わない覚悟というか。最悪のパターンは、仲睦まじいのを吹聴すること。SNSで仲良しアピール。別れる勇気もない、悪役になる覚悟もない、口を閉じる潔さもない。ということを、ひどい雪で真っ白になる窓のそばに座って思った。札幌はひどい雪。
●いまだ残る飲食店への気持ち
個人経営の飲食店に人が入っているのを見ると、いいなあ、と思う。つい、それくらい僕にも出来る!という気持ちが湧き上がってくるし、粗探しをしたくなる。よくないよくない。料理で自分の暮らしを成り立たせて、自分の能力をちゃんと発揮して社会に参加して、周りの人にほめられて。いいなあ、と思う。僕も僕で楽しくやっているから良いのだけど、やっぱり、自分の好きなものを出す店を持つことには、憧れがある。じゃあやればいいじゃん、というのも一理ある。でも、きっと、特殊な条件が重ならないとやらない。ほとんど神頼み。そして、願いごとがかなうなら、僕はきっと違うことを願う。だからやらない。