自宅でお店の味を再現!に潜む貧乏くささ

お店の味を自宅で再現する、という試みは、ケンタッキーから堂島ロールまで、洋の東西を問わず、一部の人間を魅了するみたいです。

「やっぱりプロが作っているから」「やっぱりお店の味は真似できない」「たまにお金払って食べに来ましょう」

からの、「お店の味を自宅でも作れる!」という流れです。

このときの、自宅でも作れる!には、貧乏くささが潜んでいる気がしてなりません。家で作れば安上がり、というだけではありません。みんながお金を払っているものを自分はタダで(材料費はかかるけど)作れるんだ!という喜びさえ潜んでいる気がします。ああ、貧乏くさい。

やったことがないのでわかりませんが、釣りとかキノコ狩りとか、山菜採りとか、DIYとか、どれも本当にやったことがないので、愛好者に殴られても文句は言えないのですが、貧乏くさい喜びが、かすかにでも潜んでいる気がします。

あ、ここで断っておきたいことがあります。

貧乏は、良いと思います。貧乏くさいのが、だめなのです。

山田詠美の『ぼくは勉強ができない』でも言っています。ほんとうに、真実だと思っています。お金がないのは、たかがお金の問題です。ただ、貧乏くさいのは、心根の問題です。貧乏くさい僕の親戚は、犬を僕の家に三日三晩預けて世話をさせて、お礼として1000円を渡そうとしたところで、奥さんが気を利かせてこっそりお金を増やし、3000円をくれました。これも心根の問題です。ちなみに、高給取りだと自慢している夫婦でした。

あと、僕が小学生のころ、いわゆる貧乏な暮らしだったのですが、遠足のお弁当にチキチキボーンを入れていったことがありました。すると、同級生に、「チキチキボーンだあ!やしま金持ちー!!」と驚かれました。あ、よく考えたらこれは関係ない話でしたね。チキチキボーンは味が濃くておいしいですよね。祖母は骨でだしを取って味噌汁にします。

話がそれました。

お店のものを自宅で再現する、という行為には「得しちゃった!」という喜びが内包されている気がします。

それで、そもそもお店の味ってどんな味なのでしょう。もちろん料理によっても店によっても違うのですが、おろしにんにくは、これは文句なしにお店の味です。チューブのではありません。業務スーパーなどで買える、一キロの大きいボトルのものです。これは、うまいですよ。強烈にうまいです。

とくに、テーオーの生おろしにんにくは良いですね。うっとりするくらいうまいです。パスタに使っても中華に使っても、てきめんにお店の味になります。もうこれは買いです。必需品です。僕は使っていませんが。

ここで言いたいのは、堂島ロールにおろしにんにくが入っている、ということではありません。どうなんでしょう、お店の味って、そんな良いものなんですかね。

おろしにんにくに代表されるように、お店の味ってのは、ショートケーキにたっぷり入った香料だったり、ファミチキの過剰な旨みだったり、ちょっと古くなった油で揚げたハノイの揚げ餃子屋さんの味だったり、ショートニングでからっと揚がったジャンクフードだったり、そういう、自宅では再現が難しいというより、しない方が良い類のものだったりすると思うのです。全部、とてもおいしいんですけどね。

だから、お店の味を自宅で再現!という試みには、そういう安っぽいというかジャンクというか、そういう刺激の強さを尊ぶ姿勢が見え隠れするから、なおさら貧乏くさい気がするのです。

もちろん、きりっと冷えた蕎麦だったり、きっちり水気をふき取ったサラダだったり、お湯の温度をきっちり管理して淹れたコーヒーだったり、卵とか片栗粉とか酒とかで下処理したプリッとしたエビだったり、そういう、学ぶべきプロの味というのも存在します。というより、これこそが、プロの味です。

でも、そういうのって、面倒なんですよね。地味ですし。

だから、ブログに書いても、だれも読まないし、読んでも実行しないと思うのです。「それならお店に行こう」となるのです。

そういう地味さの対極にあるお店っぽさが、おろしにんにくだと思っています。いや、でも、ほんとに料理がおいしくなります。ラードも常備したら怖いものなしです。

ということで、明日は二郎のラーメンを食べに行こうと思います。アブラ増しニンニク増しです。いや、にんにくっておいしいですよね。お店の味は大好きです。