東京の有名インド料理店の面接に行って採用されなかった話

日本で一番繁盛しているインド料理店を思い浮かべてください。

そう、たぶんその店です。三店舗くらいあります。

東京の端っこでサラリーマンをしていたときのことです。前にも書きましたが、長く勤めるつもりもなく、家庭の事情もあったので、一年半で辞めたのですが、せっかくだから一番繁盛しているインド料理店に潜り込んでみるか、と電話をしてみました。あては全くないけど、札幌でミールス屋さんをやってもいいなあ、とは思っていたのです。

そこは常に求人をしています。その会社の考え方や、求める人物像なんかもHPに載っていて、それを良く読んでから向かいました。店舗での面接です。社長本人が来るとのこと。

週末の昼下がりです。その店で食べたことは無かったので、食べてから面接受けるべえ、と緩い気持ちで店に向かいました。心は真剣なのですが、行動に出にくいのです。

約束は14時なので、13時前くらいに着けばいいか、とふらふらスーツ姿で銀座の街を歩きます。へえ、家賃高いだろうなあ、と思って店の前に着くと、書きなぐったような文字の、変わった看板です。地下なんだ、へえ。上からのぞくと、社長と思われる男性が接客をしています。よし、挨拶して入るぞと思ったら、前にいた二人連れの女性客と話をして、僕の方にはあまり注意を払ってくれません。繁盛店なんですね。「どうもこんにちは、面接受けに来ましたヤシマです」なんてやるのは気が引けて、エビのレモンバターマサラとバスマティライス、それにサラダと飲み物がついてくるセットを頼みます。1800円くらいだった気がします。なんてことないグリーンサラダの後に、カレーが来ます。マヨネーズを緩くしたような薄黄色のグレイビーに、エビが入っています。もったりした味で、まったくバスマティライスには合わないので、正直残したかったのですが、いやあ残しちゃいました、なんて言えないので全部食べました。飲み物は何を頼んだか忘れました。

食べ終わって、丁度良い時間なので、会計を済ませ、「面接に来たヤシマですー」と言うと、ムッとした顔をされます。あ、なんかまずいことしたかなあ、と思ったけれど、今思うと、面接前に食べにくるってのが、常識はずれみたいですね。

なんだか最初から、つんけんしています。はあ、こういう顔の人なんだなあ、写真のイメージとは違うなあと、しげしげと顔を見つめながら、話を聞きます。そうかそうか、ずいぶんな繁盛店なんですね、料理にも接客にもすべてに力を入れているのですね。飲食店でアルバイトもしたこと無いけど、あの細長い店はホールが大変そうなのはわかります。サッカーのフォーメーションのようにお互いをカバーしあいながら働くのですね。サッカーのフォーメーション、と繰り返し仰っていました。

社長、一口、水を飲みます。僕はまだ、ほとんど何もしゃべっていません。

やはり仕事は大変みたいですが、お金はもらえるみたいです。がんばって何年間か働けば、独立するだけの資金をためられるよう、店長には500万から600万を出しているとのこと。僕は八重洲の店みたいな大きい店にしたいのだけど、何年働けば貯まるのかな、とふと思います。

ここまできて、なんで応募してきたの、と訊かれます。

札幌でインド料理店をやりたいのです!と独立志向であることをはっきり言います。だって、独立したい人には惜しみなくバックアップをすると書いてあるのです。

社長、あきれたように、ふう、とため息をつきます。なぜインド料理なのか、それが伝わってこないと言います。君からはそういう、なぜインド料理でなくてはいけないか、という理由が伝わってこない、と。

なぜインド料理か。それは難しい質問です。韓国料理でもなく、ケニア料理でもなく、ギリシャ料理でもなく、なぜインド料理なのか、と考えてみると、答えに詰まります。っていうかそもそも、僕は原稿用紙2行分くらいしか話していないのだから、伝っている筈もないのですが、仕方がありません。札幌には、よいインド料理の店が無いので、貴店のような、酒も飲めてサービスも整っている、レストランとしてのインド料理店をやりたい、というようなことを言おうと思ったのですが、口を挟む間もなく、社長はしゃべり続けます。

そもそも、面接前に食べに来るってのが、なめられている気がする。たしかに飲食業は軽く見られることもあるが、私は真剣だ。面接の前に食べてしまっては、眠くなることもあるだろう。そういうところに真剣味を感じない。

ははあ、と黙って聞く、スーツ姿の僕。なめてはいません。値踏みはしてます。と思っても口にはしません。そうですか、としか返せません。

時間を無駄にしたな、帰りたいな、と思ったのですが、意外と社長、ばっつり断れない人なんですね。一度皿洗いに来なさい、と言います。八重洲の方の店です。やった、そこの店を真似したかったから丁度良い。僕の見た目から、働きが悪いのを想像して、いびってやろうと思ったのかもしれないけれど、実はちゃんと動けるのです。わかります、ひょろっとして色白で、旧帝大出身で、会社を一年半で辞めるんだから、数え役満ですよね。ちなみに、けっこう運動もできるのですが、明らかにインドア派の見た目のため、大学の入学式でも、まったくサークルに勧誘されませんでした。

後のスケジュールは店長の○○くんと相談して、と社長は締めに入ります。そう、皿洗いとはいってもね、なかなか声を出せない人が多いんだよ、まずは声を出すこと、これが出来ない人が多いんだよ、と明らかに僕にプレッシャーをかけます。はい、がんばります、と答えます。

任せてください。こう見えても、一人で歩きながら歌を歌ったり、仕込み中にも、三波春夫を熱唱したり、福山雅治の口と鼻の間で狭く響かせる発声を真似したりしていました。家の中でも、踊りながら歌ったりスキャットマンの真似をしたりして、喉の管理は怠っていません。それに、アルバイトっぽい「イラッシャイマセー」なら、弟とさんざん昔から練習してきたのです。声が出せない理由は一つもありません。ちなみに、学生の頃の合唱コンクールでは、バスパートは僕の声しか聞こえなかったと弟が言っていました。声量もあるのです。

ああ、つまらない面接だったなあと、家に帰り、店長の○○さんに電話します。

あ、今日面接をうけたヤシマですー。洗い物させてくださーい。

ところが店長、もごもごと言い淀みます。今回は、その、うにゃうにゃ、と言います。

どうやら、社長が、やっぱりあいつには洗い物もさせるなと言ったみたいで、かわいそうに店長は、断る役をやらされたのです。なんだ、ちょっと洗い物に行くの面倒くさくなっていたから丁度良い。

あ、そうですかー!じゃあ、またの機会によろしくおねがいしますー!失礼しますー!

と、こういう流れで、無事、不採用になりました。今になって思えば、採用されなくて当たり前だよなあと思います。

ここで働いている人たちは、みなさん、激務のせいなのか、非常に暗い目をしています。でもきっと、僕よりずっと体力も気力もあって、ぐっと食いしばったような顔の形をしています。僕は、いかにも現代っ子の、細い顎をしています。いきなりステーキに行った次の日は、顎が筋肉痛になったくらいです。

そういう、頑張り屋さんを採用するところだったのです。僕みたくへらへらしている人は採用されるはずがありません。

それなら仕方がないと、会社を辞めた次の日にフランス行きの飛行機に乗り、そして札幌に戻ったら、周りの人に助けられ、気がつけばミールス屋さんをやっていました。この社長のおかげで、タイミングの神様に嫌われずに済みました。

そしてこれは余談なのですが、南インド屋をやってしばらくしてから、偵察のために店員Aと一緒に東京に行きました。札幌の中心部に、あの八重洲の店みたいな、繁盛店を作る計画のためです。

ところが、久しぶりに行ったその店は、あれ?と思う感じでした。詳しくは言えません。系列店と、そこから独立した人の店にも行きました。ずいぶん繁盛していました。すごいなあ、と思いました。色々と考えて、これは自分たちでやらなくてもいいね、と店員Aとふたり、顔を見合わせました。

そういうわけで、南インド屋まちなか店の計画はなくなりました。これで良いのです。そういう風に、はじまりと終わりに、この社長がいるのです。

どうもありがとうございます。本当に、嘘じゃなく、感謝しています。