ハリームHaleemという食べ物

2017年6月12日現在、ムスリムたちはラマダーンの真っ最中です。

ラマダーンというのは断食月のことで、日が出ているうちは、彼らはなにも口にしません。札幌の北区にあるモスクでは、夕暮れ時になると、いつも以上に自転車がたくさん停まっていて、そこに突っ込むように、さらに一台二台と、自転車に乗った男たちが集まってきます。たぶん仕事でつかっているんだろうなあ、という、傷だらけでべこべこになったバンも停まっています。おそらく自動車関係の仕事なのですね。

 

お世話になっているハラルショップの店長もムスリムで、日没直前になると、店の奥の台所では、男たちが黙々と、ダヒパコラのための玉ねぎを刻んで生地と混ぜ合わせたり、ヨーグルトに水を入れてのばしていたり、小皿につやつやしたデーツを移したりしていて、火にかけた鍋からは、チキンとバスマティライスの匂いがしています。何度もスマートフォンを手に取り時刻を確かめて、腰のあたりがうきうきしています。イフタール、つまりbreakfastの準備をしているのです。

みんながそうやってうきうきしている中、店長はひとり元気がなく、「ほおう、ヤシマ、はふう、はうあーゆー、はふう」という調子です。四十を過ぎて、おそらくラマダンは30回目くらいのはずなのですが、一向に慣れないようです。あまりに声に力がないため、店員Aは何度も「何?なんて言ってるの?」と訊き返しています。

そうして、いつものように彼と食べ物の話をしていると、やはり断食中なのか、次から次へと食べたいものが浮かんでくるようです。あれには、あれが最高だ、いや待てよ、あれもうまいし、でもほらヤシマ、あれは知ってるか、あれだあれ、と一向に固有名詞が出てきません。頭が鈍くなっているのでしょう。彼の言いたいことは、つまり、ハリームが食べたい、ということのようです。

綴りはHaleemで、がちがちのムスリム料理です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0

彼の故郷のハイデラバードは、ビリヤニだけでなく、ハリームでも有名なんだとか。大きい棒で、こう、かき混ぜながら作るんだ、と力説する彼。他の男たちもハリーム、という言葉を聞くと、にやっとするところを見ると、どうやら彼らにとってハリームとは、特別な響きをもつ言葉らしいです。

じゃあ作ってあげるよ、とハリームなんて食べたことも見たこともないのに、なんとかなるだろう、と安請け合いしました。なんとなく、ハリームと言えばマトンでなく牛肉、というイメージがあったので、ガチガチに凍った牛肉の塊2kg程を買い物袋に詰めて持って帰ります。あれですよ、塊の冷凍肉をぶら下げて歩くと、石みたいに硬い肉塊が膝の裏にめりこんで、ちょっと危険な痛みが走るので、気をつけてください。まじで危ないです。

レシピを漁ってみると、結構面倒な料理であることがすぐにわかります。大麦、小麦、豆、そして肉を、どろどろになるまで煮込んで、香辛料を加えたような料理です。

大麦と小麦の精白していないものなんて、見たことがありません。英語でいうと、wheatとbarleyです。アメリカとかフランスのスーパーマーケットなら、どちらも難なく手に入りそうですが、日本だと、なかなかありません。wheatの方は、チャパティを作る全粒粉attaがwheatを挽いたものなので、それで代用します。問題は大麦です。ご飯に入れる押し麦は、ほとんど精白されているも同然なのでだめで、ネットで探しても、6分づき、5分づきならありますが、それでは茶色さが足りません。麦茶の麦って、大麦だよな、と、思いを巡らせます。

店長に相談してみるも、barleyは難しいな、でもヤシマ、ハリームってのは、wheatとかbarleyの、あのちょっと野暮ったいような味、あれが大切なのであって……いや、無理にとは言わないよ、楽しみにしてる、と悲しい目で言います。

それで結局、富澤商店に売っていたのを見つけました。ハリームを作りたい皆さん、富澤商店に行ってください。たぶん、ほかではなかなか買えません。あっても、60kgの大袋とかです。

調理自体は、難しくはありません。水に浸けておいた、ムングダル、チャナダル、ウラドダル、マスルダル、大麦、小麦、米、を圧力鍋でどろどろになるまで煮ます。ニンニク玉ねぎ生姜を炒めてから、適当な大きさに切った肉塊を放り込み、圧力鍋で崩れるまで煮込みます。結局、二回ハリームを作ったのですが、この時の肉の煮方がポイントでした。あまり圧力をかけてどろどろにすると肉の味が抜けてしまう、という日本人的感覚でもって、一回目は、加圧を短時間にし、それを手で割いたり棒でかき混ぜたりして、繊維状にしました。

これでは、だめだったのです。もっと加圧してぼろぼろにして、味が抜けた繊維状の肉がグレイビーと一体化して、何かよくわからないドロドロなものができあがった、というのがハリームだったのです。ムスリムのみなさん、そうですよね。

なので、肉は、がっちり加圧しましょう。それと、小麦の全粒粉、アタ―は、別の鍋で水で溶いてから火にかけ、ドロドロにしておきます。

そして、肉、豆類、アタ―、塩、スパイス、をひとつの鍋で合わせて煮込み、味を調えます。総重量は4kg近くになっています。

ここまでの所要時間、4時間ちかくです。出来上がった味は、あれ?バーモンドカレー?という味です。大量の肉、小麦、漫然としたスパイスの混合、これらが出会うと、われわれ日本人が良く馴染んだ、あの日本カレーの味になるのです。

ただ、なんとなく、凄みのある味です。手間がそう感じさせるのかもしれませんが、凄みがあります。

そして、口に入れると、ものすごく栄養価が高いことがわかります。そりゃあそうです。肉や豆や小麦に大麦が、消化しやすいようにどろどろになっているのだから、高濃度の流動食みたいなものです。

これに、パクチー、青唐辛子、生姜、レモンをかけて食べると、恍惚の味になります。インド人が夢中になるのもわかります。ただこれ、まともにつくると原価がかかりすぎて、日本ではメニュー化できないというのが、食べてすぐに直感でわかる味です。

出来上がったハリームを、大型のタッパーに、なみなみと詰め込み、イフタールの準備でそわそわする彼らのところに運びました。山のようなマトンビリヤニ付きです。たいへん喜ばれました。誰か僕にもハリームをください。断食はしていないのですが、よろしくお願いします。