雑記2019/03/12「レシピとは」「冷凍の牡蠣」

●レシピとは

レシピをさんざん作っている。それでお金をもらってもいる。けれど、レシピって本当に意味があるのかな、としょっちゅう考える。だからもし、誰かが僕の目の前に現れて、僕の仕事をけなしたとしても、全く怒らないで、そうだろうねと答えると思う。ねえ、どうしたらよいと思う? だって、レシピをよく読む人って、どれくらいいると思う? つかう材料の違いや、部屋の温度や鍋の材質の違い、空の青さや、空の高さが違うから、同じものなんて作れっこない、ということを言いたいのではないんだ。つまり、再現性ではない、もっと違うところに問題があるとぼくは思うんだ。 もっと単純なことで、彼らは、レシピを、読まないんだよ。そうだ、レシピを読まない。父親が、まるでそれ自体が神様かのように、書斎の机の、きっちり真ん中においていた聖書、僕はそれを、表表紙と裏表紙しか見たことがなかった。ちょうどそんな風に、彼らは本当に、レシピを読まないんだ。ぼくだって、いまなら聖書に興味を持てるのかもしれないけど、その時の僕は、その本にまったくと言ってよいほど興味を持てなかった。いまだって、どれくらい読めるかはわからない。2、3ページかもしれないし、もしかしたらもっと読み進めることができるかもしれない。それが何になるのかって。そうだ、君が期待するような意味では、何にもならないんだ。すくなくとも、いまぼくがとてもお腹が空いていて、ああ近くのパン屋にミートパイは置いてあったかな、なんてことを考えている。レシピってものは、それを止めることさえもできないんだ。当然、君のお腹がふくれることもない。そういうことなんだ。だから、レシピに意味なんてないんだって、おびえている猿みたいに、答えに飛びついてしまいたくなる。疲れてきたからやめにしよう、こんな話。そもそも、こんな喋り方をするのは初めてで、もちろん、君に聞かせるのも初めてだ。いつだって会話は楽しいものだし、疲れるものでもある。そうだろう。

●冷凍の牡蠣

新札幌は、ちょっとあれなかんじの街だけど、それなりに便利な場所だと思う。業務用食品を扱っている、キャロットがあるのも大きい。相当に便利。冷凍の牡蠣を買った。プルプルの冬季限定かきの青汁カレーが終わってしまったから、自分で作るしかない。そう思って買った。生で食べるのでなければ、冷凍でも何の問題もない気がする。ざっくり使うにはちょうど良い。とりあえずビリヤニにするか。