コロナウィルスについて思うこと 2回目

承前

この一年間、みなさまいかがお過ごしだったでしょうか。僕は運よくコロナの影響を免れ、変わらぬ日々を過ごしています。ほとんどの人にとってこの一年は、ストレスの多いものだったろうと思います。医療従事者や、店舗を構えて商売をしている人、イベント関係、飲食店まわり、見渡せば影響を被らなかった業界を探す方が難しいくらいです。とくに医療従事者の皆様は、心身を削りながらもこの国難に立ち向かい、最前線で戦ってくださったことに感謝します。

以上で配慮と感謝は終わりです。十分でしょう。配慮と感謝をすればOK。さあ好きなことを書こう。

一年以上前に書いたこの記事、読んでください。

コロナウィルスについて思うこと

やってられないですね。一年たってもこれかよという気持ちです。反省会なんてまったく開催されず、いまだに、命優先なんてピントのずれた言葉が世界にあふれています。この一年前の記事で僕の言いたいことはほぼ言っているのですが、続編として、もう少し好きに書いていこうと思います。コロナが怖くて学校が好きだったような人は不快になるだけだと思いますが、是非読んでください。読んで嫌な気持ちになってくれたら嬉しいです。

マスクについて

僕は基本的にマスクをしていません。飲食店など、ルールとして定められている場合はマスクをします。店のルールは店の人間が決めるのだから、僕の思想信条が優先される理由はありません。「マスクをしない自由」の御旗を掲げたい人は、飲食店に突入せず、河原などでやれば良いと思います。地下鉄では、マスクをしていません。マスクをしましょうの掲示がされ、放送(いろいろな声優や芸人がNHKに出演しているときのような柔らかい声で、命を守ろうマスクをしようと呼びかける不愉快な内容)もありますが、現状では、マスクをしない人に対して駅員は注意をしません。「マスクしてください」と直接言うことはありません。駅員の前でマスクをせず本を読んでいても、何も言われません。だから僕はまだマスクをしません。僕は彼らの動向を注意深く見守っています。いつ「マスク非着用者には注意すること」という決定がなされるかです。その決定がなされれば、僕はおとなしくマスクを着けます。それでも強硬にマスク非着用で車両にのりこむことはしません。摘まみだされるのは嫌ですし、駅員の仕事を増やすのも申し訳ないと感じます。地下鉄にだれかと一緒に乗っているときは、マスクを着けます。隣に座る友達まで変な目で見られるのはかわいそうなので、マスクを着けます。

というのが僕の方針です。読んでいる方のほとんどが、なんだこいつ常識が無いな、と思うことでしょう。別に良いのです。集団で浮くのは慣れています。小学校四年生のあのとき、生徒に平手打ちを食らわせる女性教師にやめろと言ったのは僕だけですし、隣の隣のクラスの学年主任の男性教師(たしか小林)は、僕に味方してくれるどころか、一緒になって僕を黙らせにかかりました。先週のこと、地下鉄大通駅の構内で気を失って倒れている女性を見つけ、ほとんどの人が素通りしているので、駅員をすぐに呼んできたのも僕です。自分の頭で考えて、その結果集団から浮くことを僕は恐れません。

話が逸れました。マスクの話です。これはほぼ確信していることで、多くの人が、コロナがすたれたあと、「自分はマスクは嫌だった。周りに合わせて仕方なくつけていた。コロナ対策で疲弊した」と言い始めます。これは、嘘を含んでいます。コロナが騒がれ始めたのは、2019年の年末くらいでしょうか。コロナが騒がれ始めてから、初めての緊急事態宣言を挟んだ6か月間くらい、ほとんど全ての人間がコロナを怖がっていました。今では平気な顔をしているあの人もこの人も、最初の6か月間は、かなり怖がっていたのを僕は知っています。マスク・消毒液争奪戦も起こりました。マスクの意味も分からず、慌てて皆がマスクを着けて手の消毒をしたこの初動の6ヵ月で、今に至る、コロナ騒ぎの展開が決まったのだと思います。この時は、怖がっていましたよね?マスクを喜んでつけていましたよね?

パニックの先鞭を自らつけておきながら、自分はマスクをつけるのは嫌だった、は通りません。コロナに慣れて落ち着いてきたら、マスクがうっとうしくなったかもしれません。それなら、マスクを着用しなければ良いのです。法に触れない範囲で非着用を通せばよいのです。皆がマスク非着用の雰囲気を作れば、そこで初めて正しくコロナを認識して、しかるべく対策をとる道が見えてきます。初動で自分もこわがってパニックの流れを作り、その後も流れに竿さす行動を続けている大多数の人間は、コロナがすたれた後に格好つけてはいけません。俺はびびった。びびったし、その後も大勢に流されてしまった。そう言うべきです。

データを見ないことと一貫性の欠如

君たちがダメな理由を教えてあげよう。データを見ないことと、一貫性の欠如です。最初期から死者数は公表されていました。それを見れば、「はいはいこの話終了!」となったはずなのです(今からでも遅くないから見て欲しい。めっちゃ少ないから)。ネット上に公開されているのに、それを確かめようともしなかった。これがダメな点のひとつです。

もうひとつは、一貫性の欠如です。コロナが怖いなら、最後まできちんと怖がるべきです。自粛が辛いとか、マスクをすると呼吸が苦しいとか、やっぱり友達と会いたいとか居酒屋に行きたいとか、すべて却下です。買い物は三日に一回にしていますか? 帰ってきたら服を全部脱いで洗濯していますか? マスクはちゃんと二重にしていますか? 2019年の末に比べて、感染者は全く減っていません、むしろ増えています。それなら一貫して怖がって、しっかり対策をするべきです。母の友人に、もう2年近くゴミ捨て以外で家を出ていない女性がいます。彼女は、一貫しています。おそらくその女性は二年間の自主軟禁で取り返しのつかないダメージを受けているとは思いますが、それでも一貫性はあります。私はコロナが怖い、だから出ない、とシンプルな論理です。

一貫性を担保するのは、論理もしくは狂気です。狂気はおいておくとして、論理があるから一貫していられるのです。雰囲気に流されて場当たり的な取り組みしかできないから、小学校のテストすらも点数が取れなかったのだろうと思います。「進研ゼミをやればなんとかなる」の進研ゼミをワクチンや二重マスクなど、色々なものに置き換えてみると、しっくりきます。そして悲しいことに、世の中では小学校のテストに四苦八苦する人間が大多数であり、それを考えると、もう何も言えなくなってしまいます。

この後のこと

前回と同じことを書いて終わりにします。テレビやネットニュースなどで、「よく食べて寝て、ふつうに遊んで健康でいよう」と繰り返し言ってみてはいかがでしょう。皆を不安にさせるのが得意なマスメディアなら、皆を安心させることもできるのではないかと思います。一日も早く世界が元通りになりますように。元通りになったからと言って、はじめから完璧に美しい世界ではないのは知っていますが、まあ今の陰鬱な世界よりは良いと思います。そして、南インド屋の商品を買ってください。おいしいです。宜しくお願いします。