雑記2019/01/25「すべてが水菜になる」「アザーンと犬肉」

2019/01/25

●すべてが水菜になる

さいきん葉物をよく食べる。一環として春菊を買ってパスタにしてみた。ニンニクを炒めてチリ、それからちょっとアンチョビ。春菊をザクザク三つくらいに切ってみたら、茎の方も柔らかい。これは茎も全部いけるな、と思ってためしに生で食べたら、問題なく食べられる。ちょっとクレソンにも近いような。茎の方をオイルに加えてさっと炒めて、隣で茹でていたパスタをイン。春菊とざく切りにしたトマトも入れて和える。器によそってから、春菊の一番葉先の柔らかい部分をどさっとのせて、オリーブオイルと削ったパルミジャーノレッジャーノ。おいしい。おいしいけど、これは春菊なのか。僕の知っている春菊は、もっと、春菊春菊している。これは、目をつぶって食べたら、うーん小松菜?水菜?というくらいの味。これが国民の総意なのか。もったいない。春菊の香りが嫌いなら、キャベツでもかじってればよいのに。そうしたら、生産量が減って値段が上がるかもしれないけど、味は保てるはず。春菊ってにおいがきつくてね、なんて言いながら、やっぱりでも鍋には春菊、と二秒で矛盾したことを思考して買うからいけない。なんだよみんなダブルシンキング習得しているの。いやちょっと違うか。勝手に僕の祖母を悪者にするのだけど、多分祖母は、春菊っていやよね、と言いながら春菊を買ったくち。勝手に悪者にして悪いけど、弟の奥さんのお母さんも、たぶんそのくち。買わないで。たのむから。鍋にはところてんでもマロニーでも入れておいて。望み通り、味はしないから。僕はいま30歳で、それでも、あれ?昔の春菊って?と思ったので、年上の人なら、さらにそう思うだろう。それで、僕が味も香りも強い春菊を愛しているかといえば、実はそうでも無くて、普段食べるなら、台湾の燙青菜みたいに、味が無いような青菜をたくさん食べるほうが好き。あれは幸せの味。おいしい。いまの春菊も、そうやって食べるには丁度良いかもしれない。

●アザーンと犬肉

英語をつかわないひとは、英語を勉強しなくて良いと思う。いらない、いらない。使わないそろばん弾けるようになって何になるのか。僕は3月にインドに行く。だから必要、というだけでなく、多分、僕は英語が出来たほうが良い人。外国人と仲良くしやすいから。日本人より楽とすら思う。外国人は、当たり前だけど、相手が自分と違うことを前提として、僕を見る。国が違うんだからあたりまえ。そのうえで付き合う。だから、お互い齟齬があっても、まあ、それはそれ、としてくれることが多い。最初から同質性を求められるとつらい。会社の同期で研修を一か月くらいやったけど、なんというか、びっくりした。ここは学校じゃねえんだぞ、と思った僕が間違いで、あそこは学校だった。失礼しました。ベトナムからの研修生が二人いて、彼らは、東大と東工大、みたいなところから来ていて、さすがだった。日本語と、僕の下手な英語を混ぜて話していた。友だちになるか、と言われたら、そこまでの興味はないけど、交流する程度なら、ぜったいにその二人を選びたい。あ、あと、日本人で、ひとり、変人耐性の強い人がいた。いまでもたまにやり取りをする。ありがとう。だから日本人はいやなんだ、と言いたいのではなく、まあ、そんなもんだよねと思う。異質なものを受け入れないけどグローバルは好き、というのが現状だと思う。ふんわりと、国際交流とか交換留学とか姉妹都市とかミュンヘンクリスマス市とかを好ましく思う、ふんわりグローバリズムは、かなり浸透していると思う。外国人と仲良くする、というのが、学校で丸がつく項目に、いつからかなった。夜明けに大音声のアザーンで叩き起こされて、隣の庭では犬を焼いて食べていて、そのまた隣では薪で火を起こしてビリヤニを大鍋で炊いている。ビーチに行けば全裸の大人がごろごろしている。道端にはヤシの葉に花とか線香を盛ったチャナンがあふれていて、それを皆が踏みつぶして歩いている。たぶんスラムもある。自分の住んでいる町がそうなって、文句ひとつ言わない、もしくは、文句は言うけど喧嘩はしない、と言い切れる自信があるのかなあと思っている。僕は無い。たぶんそのうち慣れるけど、嬉しいかと言われたら嬉しくはない。だから、まずは同質性を確認しあう人たちを、ちょっと嫌だなとは思っても、そんなもんだよね、と思う。自分の中にもそういう考え方があるのだから。だから、とりあえずは、国境があるからこそ生まれる、お互いに異質であることを認める習慣をもった人と仲良くする、というのが、有効な手段だとは思う。それで、僕は、英語が出来たほうが良いかもね、という、まどろっこしい論理展開。

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