雑記2024/08/27 「スパイスは浄か不浄か」

・スパイスは浄か不浄か

スパイスレッスンのホールチリにカビが生えておりまして、大変ご迷惑をおかけしました。気がついたらご連絡ください。

今度のことで思ったのは、スパイスは浄か不浄かということ。我々日本人にとって、スパイスは、食品というより、薬品とか、無機物とかに近いイメージがあると思う。だから、スパイスが綺麗かどうか、清潔かどうかについては、あまり気にしない。実際のところ、スパイスはまごう事なき農作物で、食物である以上、綺麗なこともあれば汚いこともあるはず。スパイスを実際に育て収穫しているインド人にとって、スパイスは無機物ではありえず、野菜の一種として捉えている可能性がある。とすれば、それは無条件に浄性があるものではなく、何らかの処置で浄めるべきものであるはず。インドの浄・不浄の概念は、実際の衛生観念とも結びついている。日本よりも不潔になりやすい環境だから、口に入れるものは特に気をつけるようになり、それに宗教的なものが組み合わさって現在の浄・不浄の概念になっていると僕は理解している。何を言いたいかというと、テンパリングって、浄のためではないかということ。油でスパイスを加熱することをテンパリングといい、結構な高温の油にスパイスを放り込んで一気に弾けさせるようにするのが望ましい。インドでは、油で加熱したものが浄性が高いとされる。風味の面からこの処理を説明することもできるけど、本当に、どうしても必ず油で炒める必要があるかというと、まあそんなことはないよね、と思う。マスタードシードやクミンなどであれば高音で炒めることで風味が出るけど、シナモン、カルダモン、クローブあたりは、本当に油で炒める必要があるかは微妙なところ。特にグリーンカルダモンの香りは高温にさらすと飛びやすい。ムスリムの煮込み料理であれば、テンパリングをせずに肉やヨーグルトと一緒にホールスパイスを放り込んで煮込んでしまう作り方もある。こっちの方が香りを立たせるには良い気もする。ムスリムの料理は、やっぱり純インド料理とは違うのかもしれない。

そしてもう一つ、ガラムマサラの乾煎りも、もしかしたら浄にするための操作かもしれない。ガラムマサラは、基本的にスパイスを乾煎りしてから粉末にする。ミキサーを使うのでなければ乾煎りしたほうが粉末にしやすいという理由の方が大きそうだけど、ミキサーを使う現代の台所でも、ガラムマサラの乾煎り工程はなくなっていない。これは、彼らの中に「スパイスは食材の一種」という意識があり、比較的調理工程の後の方で使うことの多いガラムマサラであればなおのこと、一旦加熱しておきたいのではないだろうか。ガラムマサラは、一番最後に振りかけて、すぐに火を止めてしまうこともあるから、加熱はほぼされずに口に入ることもある。これは、スパイスを食材の一つとして捉えている人たちにとっては、抵抗があることだと思う。

この仮説を検証することは簡単で、100人くらいのインド人に、「スパイスって浄ですか?そのまま口に入れられる?」と聞いてみること。日本人に同じことを聞いたら、多分違う結果が出る。スパイスなんて刺激物をそのまま食べるなんて!という反応はありそうだけど。フェンネルをそのまま噛んだりすることもあるからなんとも言えないのだけど、フェンネルやクローブをそのまま齧るときは、食べ物としてでなく薬として摂取しているのに近い気がするから、普段の食事での浄不浄の感覚とはまた違ったものが適用されるのかもしれない。全体的にかもしれないばかりで当てにならない文章だとは思う。まあ雑記だからね。