雑記2024/08/19「トリトンで一番おいしいもの」

・トリトンで一番おいしいもの

花まるとトリトンが札幌回転寿司界の二大勢力だと思う。おそらく異論はないことでしょう。どちらを好むかは、人によってくっきりと分かれる印象で、僕は花まる派。迷わず花まる。花まるは(トリトンもだけど)観光客が詰めかける店になってしまったので気軽には行けないものの、鮨を食べたい気持ちになった時に、花まるが選択肢の一番上にくる。混んで入りにくいからみんなもっとスシローと魚べいに行って欲しいなと思っている。まじでおいしくないけど、ちゃんと寿司の形はしている。昨日久しぶりにトリトンに行った。トリトンで一番おいしいのは、海老マヨとサーモンアボカドロール。海老マヨは、ボイルエビを使って欲しい。花丸は生のえび、甘エビかな、が使われていて、むにゅっとして少し気持ち悪い。海老マヨのエビには火を通すべきだと思う。サーモンアボカドロールは、アボカドと千切りのきゅうりが入った、つまりカリフォルニアロールで、マグロよりサーモンの方がおいしいと感じるのは僕が道民だからだろうか。サーモンはおいしい。トリトンに行くと、海老マヨを食べて、サーモンアボカドロールを食べて、炙りサーモンを食べて、もう一回海老マヨを食べる。生の魚はできるだけ食べない。昨日は珍しく生のホッキとサーモンをたべた。今更なのだけど、回転寿司は値段上がったね。お金がないわけではないのけど、高いなと思った。生サーモンだと400円弱する。サーモン一皿に400円ってどういうことじゃいと頑迷な道民の血が騒ぐ。適正価格というものがあるのだと、昔ながらの冷凍サーモン(280円くらいだったか)を食べた。悪くはなかった。こういう味だよねと思った。確かに生サーモンとの食感の違いはあるけど、サーモンは比較的冷凍に強い魚なのだと思う。そして、なぜ俺は魚を生で食べてるのだろうと思った。ホッキを食べたら、ブワッとして水っぽかった。これもボイルした方が美味しいだろうなと思った。そう、寿司という形態に違和感を覚えた。なぜみんなしてご飯に生の魚を乗っけて食っているのか。そもそも生の魚は、ムニュムニュして、そんなに味がしない。人間の味覚では、生の魚からは、それほどの幸せを引き出せない。目をつぶって食べたら、生の魚は大体どれもただのムニュムニュしたものだと思う。しかも、水っぽさや生臭さのネガティブ要素が出やすい。ネガティブ要素がない寿司を実現するには、日常食ではない金額を積まないといけない。味が引き出せるわけでもなく、ネガティブ要素が出やすく、しかも衛生的なリスクまである、味がしない割にネガティブ要素だけが出やすい魚の生食って、そんなにみんながこぞって食べるようなものではない気がする。料理としてどうなの?と思ってしまった。やはり酢で締めたり漬け込んだりの処理をするのが寿司の正しい姿だと思う。それなら生食の意味があるし、ある程度雑な状態で作って食べても楽しめる。生の状態で食べることに意味があるのは、マグロと貝類だと思う。どちらも、生でもおいしいし、生ならではのおいしさがある。サーモンも比較的、生で食べる意味がある。それ以外は茹でるか炙るか、せめて酢で締めるか漬け込むか。その方が自然だと僕は思う。

 

・家に人を招く

最近そういう機運がある。仕事から離れて作ったインド料理が驚くほどおいしくて、このおいしさをシェアしたい!という気持ちになった。その気持ちが、飲食店やりたい!に向かなくなったのは進歩なのか老化なのか。ジップロック惣菜屋なら、やりたい気持ちはまだちょっとある。芋とカブを炒めたものとか、ダルとか、肉のカレーとかを、ジップロックに詰めて売る。店内飲食はなし。時々ビリヤニをやっても良いし、ハリームを詰めて売っても良い。冷凍して通販しても良いけど、やっぱり冷凍したものはおいしくないと思うから、手の届く範囲で売るのが食べ物を扱うなら一番良いと思う。多分これからも、時々家に人を呼ぶと思うから、我こそはと思う人は声をかけて欲しい。家は新札幌。来客者用駐車場はある。決して商品を売りつけたり何らかの勧誘をしたりはしない。

 

・レシピには理由があるはず

大抵の料理には来歴があり、その形になった何らかの理由があるはずだと僕は思う。手に入るものを効率よく調理して食べる行為が積み重なって、今のレシピになっている。マサラドーサのように、思いつきで芋炒めをドーサで包んだようなものもあるから、全ての料理が伝統的であるとは限らないし、偶然とか何となくとかも大いにあるとは思う。全ての事象には理由があると考えるのは、下手に知能の高い人間にありがちな陥穽で、陰謀論へとダイレクトに繋がっていることを忘れてはいけない。自戒として。それでも、レシピを作るなら、何らかの正当性が欲しい。ストーリーと言い換えてもいいか。現地で食べて美味しかった、現地の人間に教わった、というのはわかりやすい正当性を料理に付加する。僕にその手は使えない。だから勉強するしかないよなと思っている。なぜそのレシピになっているかという疑問は、なぜその土地でそれが食べられているのかという問題とかなり近い。例えばハイデラバードではムングダルよりマスルダルが好まれる。ケララでパリップといえばムングダルなのとは違いがある。マスルダルは煮えるのが早いし味としても使いやすいから、ケララでマスルダルが優勢になっていてもおかしくはない。もしかしたらケララではマスルダルが育たないのかもしれない。もしそうなら、なぜ育たないのか。これは多分農学的な知識が必要になるだろうと思う。だから、農学部の一年生が読むような本を何冊か買ってみた。流通論も必要と教わったのでそれも買った。今の所の展望としては、理論的なものを読みつつ、興味のある実際的な論文を漁る。そして、統計情報にアクセスして扱えるようになりたい。例えばケララ州でどんな豆が育てられているかのデータがあれば話は早いよね。もし必要とあれば大学に入ることも考えるけど、今の所は在野で良いかなと思っている。もし一緒に勉強したい人がいれば、一緒にやりましょう。また、素人の僕に助言してやろうという心優しい方がいらっしゃいましたらご一報を。読む本リストのチェックとかしてくれたら嬉しいよね。