雑記2020/08/14「グラム表記」「改装」

○グラム表記

スパイスレッスンのレシピをグラム表記してみて欲しいとの提案をお客様からいただいた。なるほど。そうだ、するべきだ。レイアウトの問題もあるからちょっとどうなるかわからないけど、やってみようと思う。有難うございます。

レシピの正確性や再現性という観点からは、グラム表記のほうが優れているのは間違いないと思う。玉ねぎ半分ってどれくらいやねん、インドの玉ねぎなんてこんな小さいぞ?おぉ?とインド料理マニアに詰め寄られたら謝るしかない。玉ねぎ半分、だけではなく、100gと併記すれば誰もが安心。では、なぜこれまで併記しなかったか。

・グラム表記が一般的ではないから

まずは、これ。つまり、墨守。保守的。みんな基本的に保守的だから、変な書き方したら嫌がるでしょうと。まあ、いつも変なことばかりしている僕が今さら気にすることでもない気がするけど。

・スパイスレッスンの目的を考えると必ずしもグラム表記の必要が無いから

一応の公式見解。料理の構造を把握したり、スパイスの特徴やおいしさを知るのがスパイスレッスン。だから、玉ねぎの量が違っても、ざっくりと再現できてればそれでいいんだよね、という考え方。細部を見ずに大きく見ようぜ。

・再現性を捨てているから

非公式見解。大きな声では言えないこと。再現性を捨てている。

レシピ作りにはかならず、「でも実際はちゃんとつくってもらえないんだよなあ……」問題がある。レシピに限らず、おそらくほぼすべての商売のデザイナーを悩ませる問題だと思う。ボーダーのシャのザイナーは、まさか下半身にストライプのズボンを履く人がいるとを想定していないだろうけど、いる。実際にいる、そういう人は。

前にも書いた気がするけど、この辺りは、ある程度割り切りが必要だと思う。飲食店だって、店側は、出すものは出すしもてなすけど、客が楽しむかどうかは究極的には客次第であって、さらに言うなら、楽しまない自由だって客にはある。だから、デザインする側は、あんまり肩ひじ張って気合を入れると、肩透かしをくうことになる。きっとこれは、誰もが大人になったら出くわす問題だと思う。「あれ?○○(任意の概念)は俺のがんばりに応えてくれないぞ?」問題。俺の頑張りに応えてくれないと理解した大人は、手を抜くことを覚える。言い換えると、頑張りを限定的にする。あんまり本気でやりすぎると精神がやられるから、お金をもらう範囲でプロの仕事をする。

レシピの話に戻るけど、僕はできれば、僕のイメージした通りに皆様が作ってくれたら嬉しいとは思う。けれどそれは無理な話で、望むべくもないこと。どうしても再現性にこだわるなら、僕が全員の家に行って、作って見せて食べてもらわないといけない。出張料理教室か。それでも僕の作ったのと同じにはならない。それならいっそ、大づかみに作ってもらって、あとは自分の感覚で仕上げちゃってください、という姿勢。

まとめると、分量をグラム表記しないのは、自分の心を守るための防衛機制のひとつだったということ。ああ、なんたる未熟。僕は32歳にして、最近ちょっと大人になってきた気がするな、程度の社会性劣等生だから、まだ割り切りができていない。本当は書いたほうが良いのはわかっていたのだけど、ある意味斜に構えてたのですね。よくない、それはよくない。いいじゃないか、一人でもふたりでも、グラム表記で喜んでくれるなら。書く、俺は書くぞ。

○改装

色々効率化するぜいぇーい、と思っていたのだけど、棚が届かない。八月末になる。そこからさらに買い足して、9月中には完成させたいな、というかんじ。それでもすでに効果は表れていて、こうして日記を書く余裕もできている。今日は久しぶりに本業をやった。新商品の開発、スパイスレッスンの更新、ショップの写真差し替え。棚を見繕ったり組み立てたり、そういうのは遅々として進まないけど、得意なことならあっという間に仕事が終わる。僕仕事めっちゃ早い。得意なことをやる、せめて苦手なことはしない、というのは大事なんですね。