雑記2019/01/20「ブラックの素質」

2019/01/20

●ブラックの素質

会社勤めを一年と3か月で辞めた僕が言うと、ぶん殴られそうな気がするけど、僕はブラック企業とかブラック職場とか、そういうブラックの素質があると思う。目的は手段を正当化しないという。そう思う。宗教戦争よくない。アッラーでもキリストでもそのやり方は良くない。当たり前。でも、必要とあれば、ぎりぎりまでは行っても良いと思っているところがある。魔女を焼くのは良くないけど、自分が焼かれそうなとき、自分の好きな人が焼かれそうなとき、官吏を焼かないまでも、行方不明にするくらいな良いんじゃないかと思う。なんだそのたとえ。これは多分、いわゆる優等生的かどうか、と関係があると思う。学級会のために苦労を背負い込むことを良しとするかどうか。たかがテストのために心身を削って頭に詰め込むかどうか。しかもそれを何年も続ける。身なりとか遊びとか、そういうものに傾ける何かを、勉強に向ける。実態は見えないけど社会が崇めている偏差値というもにょもにょのために頑張れる。そうか抽象化能力の問題か。まあいいや。僕は、勉強に関しては、まあ要領が良かったから北海道大学にするっと入ったけど、優等生的なところがある。権威に弱い、という面はないけど。ちがうな。人とは違う権威に額づいているのかもしれない。たとえば、これは大きい声では言えないけど、飲食店をやっていて、作っている僕のイメージを正しく理解してくれる人は、ごくごく少数だと思っている。ゼロかもしれない。理屈だけでなく、実際に嗅覚や味覚や触覚が優れていないと難しいと思う。そういう、無駄ともいえる質を追求するのは、僕の中の何か、もしくは天にまします何か、という権威に従っているから。そこまで言わなくても、働いているときに、こういうことがあった。工場実習のとき。そこまで大きい会社ではなかったから、現場の責任者に丸投げ、というパターンもあった。つまり、やることがない。ラインに入れるのも危険。だから、適当な仕事を割り当てられた。学校の教室の扉にある、「1年3組」のプレート。あんなかんじのものを、ドアに、ペタっと貼る。そのために、たくさんあるプレートに、両面テープをひたすら貼っていく仕事。あと、ミシン線でくっついている大量の小さいシールを、全部ばらばらにすること。うん、いわゆるサルでも、というやつ。その班長は、たぶん僕がへらへらしているから嫌いだったのだろう、「いいか、こういう作業でも、いかに効率的にやるか、というのを考えろよ。どうやって両面テープを貼るか。こういう、べろーっと長いこのシール、これを、どうやって一枚一枚にすると早いか、効率を考えろ」と宣う。明らかにスピードを試されている。僕は質問する。

「両面テープの貼る位置についてです。長いのを二本使うのですね。あの、貼り方で強度に差は出ますか? たとえば、きっちり平行じゃないといけない、だとか、プレート裏面の、上端と下端ぴったりに綺麗に貼らなければいけない、というようなことはありますか」

「いや、差は出ないと思う。ちゃんと留まればそれで良い」

「極端に上下にかたよったり、中心に寄ったりしなければよいということですね。」

嘘だと思われるだろうけど、ほんとうに、これくらい確認した。班長が部屋を出る。すぐに取り掛かる。もちろん、僕は、適当に貼っていく。綺麗に貼る、というのは、過剰品質である、という認識。ムダはとりのぞく。お金を稼ぐ集団である会社においては、1ミリの無駄も許されない。だからこれが最適解。二の字でなく、ㇵの字にもなる。それくらいの精度で貼った方が明らかに早い。

もうひとつ。シールの問題。永谷園のお茶漬けの袋のように、ミシン目で、ちいさいシールがびろーっとつながっている。うバラバラに切り離すか。図を描いた。伝わるかな。

燃えるよね??明らかに値踏みされいる状況だよ??これはもう、最速でやるしかないよね??しかもここは営利組織。これはもう、スピードを出すしかないよね??

おそらく、ふつうは、左側のやり方をする。一見早そうなこの方法は、折り返す両端の部分を、もう一度ちぎる必要がある。これは、良くない。実際にやるとわかるけど、これは、散逸しやすい。もう一度切らなければいけない折り返しの部分を、探さないといけない。漏れも出る。ひたすら単純作業をするときに一番スピードが出るが、「探す」という行為は、そのリズムをとめてしまう。

だから、最初に、同じ長さに何本か切る。帯にする。なんなら全部最初にやってしまっても良い。作業台のスペースの問題。そうしてから、重ねて、ちぎっていく。そうすると、ちぎったものは、そのまま、全部、「済み」にできる。楽で早い。最適解。

最初に両面テープ貼りを終わらせた。それから、延々と、ミシン線をちぎり続ける。そうしていると、班長が戻ってきた。どうだヤシマ??できたか??と言って、貼り終えた、大量の「1年三組」のプレートを手に取る。僕は、自信満々。おまえとは頭の出来が違うわい、とほくそ笑む。どうだふるえろ!意味のない綺麗さより実利をとったこの聡明さ!ひざまずけ!

ところが、班長は渋い顔をする。

「おまえな、綺麗にそろえて貼れよ。こういうところを見て、ほかの部署は、おまえを判断するんだぞ」

「……え?これ強度出ませんか?」

「まあいいから。おい、そっちのシールはどうだ。はやいやり方わかったか??」

「はい、こうやって、こう、こう切っています」

「なんだそれ?ちがうな、見てろ。こうやってやるんだ」

「……」

「な??こうやって、最初におりたたんでから切ると早いだろ。工夫だ工夫。わかるか??な??」

「いや、あの、こうやって最初に切り離してからのほうが……」

「はあ?見ろ??こうやると早いだろ??な??」

「あ、はい、そうですね、はやいですね。はい。」

 

僕は、正しく優等生であったと思う。先生の気に入ることをするのではなく、正しいと定義づけられたもやもやにむかって突進する。最速で、最短距離を行く。僕だって、綺麗に貼った方が良いのではないか、そういうのを気にする人もいるのではないか、という懸念がなかったわけではない。でも、そういう、取るに足らない拘りより、効率、もっといえば、お金、お金、お金への最短経路を僕はとった。いまでも、自分が間違っていたとは1ミリも思わない。神は見てくださっている。魂はただしい道を知っている。

話がだいぶ逸れたけど、そういう調子で、何かの拍子でブラックに染まることはありうるよな、と思っている。