雑記2020/11/12「暇つぶしの集積」「料理教室のあり方」

○暇つぶしの集積

有難いことに売り上げが伸びた。売り上げが増えた分だけそのまま忙しくなって青息吐息になった。このままではいかんと思い立ったのはいつのことだったかもう思い出せないけれど、作業場である自宅に棚を入れたり作業台を入れたりして、効率化が進んだ。効率化は進んだけど、最終的にはやっぱり手作業で、もう無理!となって生産を外部に委託することにした。今回のスパイスレッスンとビリヤニレッスンから、詰め作業などをお願いしている。これがひと段落すればやっと落ち着くかもしれない。僕は暇な時間を作るのがとにかく大事で、暇だから料理教室やろうかな、とか、暇だからスパイスレッスン始めるかな、というある意味暇つぶしの集積がいまの南インド屋。

○料理教室のあり方

ちゃんと月一で続けようと思う。料理教室を利用して、新しいレシピを作り続けたほうが良い気がしてきた。僕はいつでもネタ切れ寸前で、それをへらへらしながら糊塗してはや4年というかんじだけど、いつか本当にどうにもならなくなる日が来るかもしれない。僕は腰が重いし怠けものだから、やばいお客さんが外で待ってる!とならないと仕事が進まない。練習のための練習が死ぬほど苦手で、ピリッとしないと脳が働かない。ということでちゃんと月1、もし暇になったら月2でも良いけど、新しいレシピのお披露目会としての料理教室をやろうと思う。あと、自分のためには買わない食材、今回ならお高いジャージー乳がそうだけど、皆様から集めたお金で、面白そうなものを買って使っていこうと思う。肉を10kg単位で仕入れて煮込んでも良いしね。皆様どうかお付き合いください。

○学校の勉強とは違うんだぞ

何度か書いているけど、新卒で入った部品メーカーの営業所に配属されてひと月くらい、けっこう何度も、「勉強ができるのと仕事は違うんだぞ八島」というようなことを言われた。僕はへえそうですかと答えながら、こう思っていた。努力の方向性を決めるのと、決めたら継続することが受験勉強のコツだから、そういう意味では結構な割合の仕事は、学校の勉強メソッドを応用できるのでは?と。今でもそう思っている。南インド屋の仕事はまさにそう。そして最近になって気が付いたのは、あの営業所は構造的に、勉強ができない人にしか務まらないということ。なるほどそういう意味だったのねと合点がいった。

彼ら営業マンは、会社がどうやって儲けているのかを知らされていない。原価は工場と本社しか知らない。だから、営業マンたちはお客さんに対して、「俺たちは儲けたい、お前も儲けたい、だから一緒に儲けようぜ」という商売の原則でもって接することができない。営業の仕事は、仕様と納期の調整、あとはトラブル処理だったと思う。何をするにせよ、なんとなく雰囲気で、工場や本社の言ってくることを手にして、客先でへらへらするしかない。数字を知らないということは、今自分の会社がその案件にどれくらい労力をつぎ込めるのかを知らないということ。納期を速めてくれと言われても、答えるすべがない。「こちらも儲けの出る範囲で善処します」と言えない。つまり何もわからないし何も言えない。今思えば、営業所の所長(部長だったけど)はぎりぎり知っていたかもしれないけど、課長以下全員、金勘定がひとつも出来ずに動いていたはず。下っ端の新入社員である僕なんてさらにひどい。何も知らされない状態で子供の御遣いをやっていたようなもので、それで500万円くらいもらえたのだから不思議な話だと思う。今になって思えば、僕が直接やり取りをしていたのはだいたいが設計の人間で、彼らは設計をやっている位だから、もっと明快なビジネスの話をしたかったのだろうと思う。落としどころを探るのが商談だと僕は思う。ところが僕には、商談なんて出来るわけがない。自分がやっていることの意味も知らされていないで何を話せというのか。そういう意味で、あの会社は構造的に、自分が何も知らないことにも気が付かず、それでも天気の話と日経新聞の受け売りを飽きずに繰り返せる人間を営業マンとして求めていたはず。

と、ここまで言語化したのはつい最近のこと。今思い返してみると、サラリーマン時代は腕輪首輪にシュノーケルくらいの息苦しさだった。それなりに仕事はこなしているとの評価は受けていたけど、主観的には常に息苦しかった。今はすいすい仕事をしている。工夫して努力してお金を稼げばよい、シンブルな世界。ここなら僕も生きられる。