雑記2020/06/27「実家暮らしが気持ち悪いと言われて」「カフェを楽しむ」

○実家暮らしが気持ち悪いと言われて

されたことは忘れないほうで、twitterで唯一僕に絡んできた彼、元気にしてるかな。彼に、実家住まいで気持ち悪いと言われたのを覚えている。僕はいま31歳(当時30歳かな)で、世の中では、その年齢で親と同居していることを気持ち悪いと表現する向きがあることは、理解している。そうだよね、いつまでも大人になってないかんじね。わかるわかる。きっと彼は二つの点を理解していない。

①実家暮らしは生存のために必要なこと

前提として、僕は、自分がこの社会で生きていくのに必死。ある程度文化の発達した場所じゃないと生きていけない軟弱者だから、なんとかこの社会で自分の場所を作らなければいけない。けれど、どうやら、僕は集団行動に向かない個体だったらしい。会社勤めには向かなかったし、学校は嫌いだった。だから、自営業としてなんとかやっていくしかないと覚悟を決めた。自営業をやるうえで、自分を裏切る可能性の低いひとが近くに一人でもいることのありがたさ、彼にはわかるかな。間借りでミールス屋をやったり、料理教室をやったりなんてしていたら、とてもじゃないけど安定した収入があったとは言えない。生活コストが低いのと勤め人時代の給料が割と良かったから平気だったけど、一人暮らしを選択ことでかかる、安く見積もっても月10万円のコストは、減らしたいと思った。そういう計算をした。僕がこの社会で生きていくためにしている営為を笑うのなら笑えばいいと思う。いつか自分に返ってこないと良いね。

②実家と言っても実家じゃない

もう一点。僕の家はもともと母子家庭だった。だから、基本姿勢が、サバイバルと言って良いと思う。この社会でどうにかして生きていこうという集団。実家暮らしで気持ち悪い、と言ったとき、お母さんが食事を作ってくれて洗濯をしてくれて、文句を言いながらも金を出してくれる父親がいるような生暖かい実家、そういうの想像してたんじゃない? 彼の家はそうだったのかな。良かったね、恵まれた実家で。電話とティッシュケースにレースのカバーをかけてありそうだね。

 

実際問題、今なら一人暮らしができるくらいの収入はある。しようかな、とも思う。ただ、その月10万円があれば、もう一個違うビジネスできるよな、とか、50万円くらいする卓上自動計量機買えるよな、と考えてしまう。それに、職住接近の快適さも捨てがたい。今は自宅が工場だから、工場に住み込んで働いているような感覚。ひとに説明するときは、親と同居していますとか、実家暮らしですと言うけど、自分ではあんまりぴんと来ていない。まあ、そもそも僕の文章を普通に読めている人間なら僕に絡んでこないだろうから、文章の読めない人間なのだろうと思う。今は怒ってもいないと思う。なんとなく思い出したから書いた。

 

○明日つくるもの

明日はミールスを作って食べる会。作業台が広いからみんなで下ごしらえすることになるかな。作るものは下記の通り。バナナリーフは手に入らなかったけど、フレッシュカレーリーフはたくさんある。やっほー。

・サンバル

蕪とズッキーニとナス。具だくさん系のサンバル。チリパウダーとヒング強めにしようと思う。

・ラッサム

南インド屋で出していたラッサムにしようかなと思う。さらっとしたの。

・ダル

ムングダルを煮たもの。ギー多めが良いかな。

・インゲンのポリヤル

北海道産のインゲンがよさそうだったから買った。ココナッツもちょっと入れる。抑えの一品。

・ポテトロースト

メークインが全然良いものが無かったから、さやあかねという品種で作ってみる。ぶっつけ本番。ひょー。

・キウイのパチャディorプリセリ

ココナッツヨーグルトでゴールドキウイを和えたもの。おいしい。みんな好き。

・ほうれん草のクートゥ

良さそうなのほうれん草ががあったから。ムングダルとココナッツと合わせる、普通のクートゥ。ココナッツは少なめにしたい。

・ココナッツチャトニ

参加者の中に、某スープカレー店の店主がいらっしゃって、彼がチャトニが好きだから作る。たしか前、ダルとココナッツチャトニがあればもうそれで良い、と言っていた気がする。

・たぶんオムレツ

青唐辛子が安かった。たくさん入れて辛くしよう。

・チャイ

みんな大好きチャイ。

 

○カフェを楽しむ

飲食店の真似事をやめて、しばらくたつ。もう3年か4年だと思う。最近ふと思ったのは、飲食店を楽しめるようになってきていること。カフェも、今ならちゃんと楽しめる。当時付き合ってた彼女には悪いことをしたなあと思う。きっと付き合いにくかったでしょう。ごめんね。つまり、当時の僕は、店に入ってまず席数を確認するような①飲食店の経営者側の視点になってしまう、という飲食あるあると、②気合の入った料理以外は認めない狭量さ、を併せて持っていたから、色々大変だった。いや、②はちょっと言い過ぎで、あんまり過去の自分を悪く言うのは、それはそれで誠実じゃない気もする。下の記事に書いたようなことを考えていた。要約すると、「南インド屋では、諸条件を鑑みて、とにかく料理に注力するのがベストの戦略」と考えて実行していた。雰囲気でお金をとることができない環境だった。

閉店してから語り始める、南インド屋のこだわりや能書き、そういうもの

自分が本気で身を削るくらいにがんばっていると、そうじゃない人たちのことが腹立たしく見えてくる。なぜやらない?なぜできない?なぜ工夫しない? なぜ本気にならない? と当時の僕は常に思っていた。今でもちょっと思っているけど、まあまあと心の中のもう一人がなだめる。こう書くと嫌われると思うけど、世の中の人の大半は、僕の2割くらいの能力しかなくて、かつやる気もない。それが普通なのだ。それが世界だ。だから僕はもう怒らないし悲しまない。いや、ちょっと嫌な気持ちにはなるから、ならないようにそもそも近づかないようにしている。対策は必要。

ちょっと話が逸れた。当時の僕、ちょっと前までの僕は、飲食店の評価≒皿の中の評価だった。飲食店は皿の中以外の要素も大切だと知っていながらも、わかっていなかった。今なら実感としてわかるけど、飲食店では、ざっくり言って「良い気分になる」ことにお金を払うのだと。おいしくて気分が良くなることもあれば、店員さんのかんじが良くて楽しくなることもある。だから、六花亭円山店の窓際に座って、ぐるりに植わっている緑を見て、はあと深い呼吸をすることを楽しめる。台湾にもう一回行って、色々食べたい。今なら、「僕が作ったほうがおいしい」なんて思わずにもっと楽しめる。ということで、ちょっとは付き合いやすくなったはずの僕は、彼女募集中です。宜しくお願いします。