明治THE chocolateとmorozoffのチョコ

バレンタインデーには、チョコを贈るものですよね。

バレンタインデーと言えば、小学生の頃に、話したことも無い女子が「やしまくんと一緒にカラオケに行った。やしまくんのおかあさんも一緒に。そしてこのティンカーベルのキーホルダーをくれたの」と吹聴し、そして僕にロイズのアーモンドチョコをくれました。勘弁してくれよ、と思ったけど、そのチョコレートは実においしかったです。アーモンドがこれでもかと入っていて、チョコも濃厚で、2017年現在の同製品と比べると、隔世の感があります。昭和は遠くなりにけり、世界的な原料高なのですね。

けれど、ちょっと前に発売された、明治の「THE chocolate」シリーズはおいしいですね。チョコレート心が満たされます。これの青いパッケージの70%のものでチョコレートドリンクを作ってもらったのですが、幸せな気分になる味でした。おすすめです。どっしりとして、いま!チョコを溶かしたのを飲んでる!というかんじです。普通の明治の板チョコの2倍くらいの値段ですが、jupiterで海外の製品を買うより、安いし美味しい気がします。明治、すごいですね。

いま読んでる、ダイエーの元会長中内功の評伝、と言うのでしょうか、「カリスマ」(新潮文庫/佐野眞一著)という本にも書いてありましたが、ダイエーがこうなった理由は色々あるけど、「安ければ商品は売れる」という考えが通用しなくなっている、世情の変化はあると思います。まあ、そうですよね。世は本格志向、とはこのブログでも繰り返している気がしますが。

吉野家の豚汁は美味しいし、明治のチョコレートは美味しいし、リンガーハットのちゃんぽんもおいしいし、大戸屋のチキン母さん煮もおいしいです。良い世の中です。

僕の手元にもう一つ、morozoffのチョコがあります。おいしいか、と訊かれると、うん、morozoffの味だね!と答えるような味です。maryのチョコと同じ味です。いや、おいしいんですよ。ただ、なんというか、古いのだと思います。昔のチョコレートの味です。すごく立派な箱に入っていて、もらうと、ずしりと心にきます。

明治のTHEchocolateも、morozoffのチョコも、同じくチョコレートという商品なのですが、味と値段のバランスを考えると、大きく差があります。収益構造も、違う業種なの?というくらいに違うのではないかと勝手に想像します。

さて、明治とmorozoff、この二つはなんでこんなに違うのか、というと、こういうことだと思います。

「食べる人とお金を払う人が同じ」と「食べる人とお金を払う人が違う」と分類できます。つまり、御遣いものと自家消費用ですね。

自分のお金で、自分で食べるために、morozoffのチョコを買う人は、どれくらいいるのでしょう。自分の財布を開いて、morozoffのチョコを買ったら、きっとがっかりすると思います。GODIVAのチョコは、不味いと思います。より高くて、よりまずいのですね。金返せ、と僕なら言いたくなると思います。ただ、前のコラムにも書いた、心の中のまる子を喜ばせるため、という買い方であれば、大喜びですね。わー、チョコだー。

実際は、morozoffやGODIVAのチョコは、食べる人はお金を払わない場合が多いので、口に運んで美味しくなくても「ふーん、こんなもんか。きっと高かったんだろうなあ。自分では買わないけど、もらったんだからいいかあ、もう一個たべよーっと」となりがちです。

だから、高いわりにおいしくなくても許されるのでしょう。包装さえ、綺麗であれば。

逆に、御遣いものに、明治のチョコをつかうひとはいるでしょうか。明治のTHEchocolateをもっていくと、よっぽどお互いの好みを知っているのであれば別として、手土産としてはあまり機能しないと思います。いや、僕はもらったら嬉しいですけどね。

(中国人のお土産に、日本のお菓子が人気らしいので、それを考えると、この分類はすこし崩れます。ここでは日本の話をします。)

morozoffのような、「食べる人とお金を払う人が違う」御遣いものだから美味しくなくても許される、という商品は、他にもたくさんあります。お菓子に限らず、観光地のお土産(ハワイのマカダミアチョコはまだ美味しい方だと思います)の大体がそうですし、そして残念なことに、飲食店にも、たくさんあります。

鮨屋、てんぷらや、鉄板焼き、炉端焼き、高級焼肉、などなど。また、程度の差こそあれ、デートに使いたくなる店やお洒落カフェ、居酒屋全般もそうかもしれません。これらは、自分のために、自分のお金で行くお店では無いのだと思います。だから、「あれ?高いわりにあんまり美味しくないな」と思っても、文句をつける人はあまりいないのです。居酒屋で4000円使うのって、勿体なくない?と下戸の僕は思います。

わかっております。高級焼肉はたしかにおいしいです。ミクニのフルコースは、幸せな気分にはなります。おいしい鮨をつくるのにはお金がかかることも、そういう味を残すために、作る人とお金を払う人が一定数いないと、文化としての多様性が失われることも、わかっております。

お洒落カフェにはお洒落カフェの良さがあるし、下戸にはわからない世界があるのでしょうし、決めてやる今夜のために素敵な店に行きたい場合もありますし、味が器と雰囲気で大きく変わってくることもわかっております。そもそも、お金を沢山つかえるのなら、また話は違いますよね。

ただ、世の中のお金の回り方として、そういう虚飾や雰囲気や人付き合いに使う部分が、多すぎやしませんか?と、ロイズの変わってしまった生チョコを前にして思うのです。

ロイズは、御遣いものと自家消費用、立ち位置として微妙なところです。それを、御遣いものがわに舵を切ったのだとみています。もし、もうすこし自家消費用にお金が回ってくる社会であれば、味を保てたかもしれません。アーモンドが減らずに済んだかもしれません。そう思うと、悲しいのです。

美味しいものを作ろうとしたときに、その原資を、味を求める層からでなく、味に添加した「良い雰囲気」や「高級さ」、「包装の綺麗さ」を求める層の出すお金に求めなければいけない社会は、歪んでいると思います。美味しいお鮨を作るなら、材料代と人件費を上乗せした価格で出せばいいじゃん、それをみんな食べに行けばいいじゃん、と思うのです。雰囲気代はほどほどにして欲しいのです。

話を元に戻すと、明治のTHEchocolateとmorozoffのチョコ、僕が好きなのはTHEchocolateです。そして、どうやらこれが、売れているみたいですね。やったぜ!

世は本格志向、と信じております。だから、こういうチョコレートを食べると嬉しいのです。きっとこれからは、こういう、「自家消費用のおいしいもの」が増えていくと思います。そんな時代になった時に、南インド屋がその一翼を担うことが出来ればよいなあ、とぼんやり考えております。