コロナウィルスについて思うこと

はじめに

そのうち、コロナ大反省会が行われると思います。なぜあの時ああしたのか、または、なぜしなかったのか、という反省会です。その時になって、「やりすぎだと思っていました」「私は社会の動きとは一線を引いていた」「自粛は度を過ぎていた」などと言い出す人が現れると思います。終わってから言うことは誰にでもできるので、終わる前に言います。いまこの状況を変えるべく声を大にして言いたいのではありません。無理です。ただ僕は、収束前にちゃんと自分の考えを発表していたという証拠を残しておきたいのです。未来のセワシ君見てる?僕はちゃんと書くべきこと書いてるよ!

言いたいことは、「騒ぎすぎ」、です。騒ぎ過ぎです皆さん。度が過ぎています。落ち着きましょう。

それでは、思っていることを書き連ねていこうと思います。

 

騒ぐのは楽しい、みんなで騒げば一層楽しい

問題の本質はここだろうと思っています。騒ぐのは楽しいのです。僕は、トラブルがあると分泌されるアドレナリンか何かが好きです。よっしゃ!という気持ちになります。危機に直面するのは楽しいのです。戦争映画も楽しいです。スプラッタは好きじゃないけど好きな人の気持ちはわかります。また、心配すること自体が楽しい人種もいます。将来の不安や家計の不安、人間関係の不安など、常に心配事や心配する相手を探している人、いますよね。手のかかる息子(38歳)をはらはらして見守っているお母さんのことです。

そういう、異常事態やトラブルが楽しいのと、もうひとつ、みんなで騒ぐ楽しさもあります。手を取って輪になって、キャンプファイアーです。夜の闇に火の粉が舞って、バチバチといっています。楽しくない訳がありません。完全に娯楽です。みんな待っていたのです、心をひとつにして、ひとつのことに立ち向かうこの時を。「わたしたちはコロナに負けない!!」。

テレビを見過ぎている

僕は普段からテレビを見ません。家にテレビがありません。だから想像でしか言えないのですが、いま、テレビでは延々とコロナ関連のことを放送しているのでしょう。「東京都で新たに感染者!」「WHOが問題の長期化を予想」「志村けんさんの芸人としてのすごさを語るヒロミ」など、テレビの前に座っていたら、嫌でも情報が流れ込んでくるのだと思います。それはもう、刷り込まれるにきまっています。人間はそんなに強くありません。だから、見ないのが一番と思っています。もちろん情報収集は必要ですが、結局個人としてできることは、手洗いうがいとかマスクとかその程度のことなのだから、常時情報を収集している必要なんてありません。世界で何が起こっていようと、自分は自分のことをするしかないのです。個人が社会を過剰に心配して何の意味があるのでしょう。僕にはわかりません。一応言っておきますが、無関心であれと言っているのではありません。

人は死ぬ

このブログに書かれていることに賛成します。興味があれば読んでみてください。

https://www.mnhrl.com/corona-jail-2020-4-14/?fbclid=IwAR2SslvGL1388TgMr5kjCRlYJEqGHCe5wabXbBX3ZUNa9oY_J4qyJEVGxao

 

インフルエンザの死者数に関してはどの数字をもってきているのかちょっとわかりませんが、厚生労働省のこの辺にも書かれています。インフルエンザでひとがたくさん死んでいるのは間違いありません。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

 

インフルエンザひとつをとっても、人間はこの瞬間もどんどん死んでいっています。年間の自殺者数ってどれくらいでしたっけ。交通事故も結構な数になりますね。死なないまでも、食べるものが無くてうなだれている人もいるでしょうし、ちがう病気に苦しんでいる人もいる、病気じゃなくても職場の上司に毎日怒鳴られて死にたくなっている人もいるはずです。この瞬間にも、世界ではたくさんの人が傷ついています。そして年寄りは、どんどん誤嚥性肺炎で亡くなっています。転倒して頭を打っています。僕は、世界が平和であればよいと思っているし、みんなが笑顔で暮らせればよいなと本気で思っています。でもそうはなりません。100%はあり得ません。ゼロにもなりません。これはもう、仕方ないことです。そういう世界です。これを無理に100やゼロにしようとすると、ものすごい無理がかかります。髪の毛一本がラーメンに入るのを防ぐために、店員全員がスキンヘッドにするべきなのでしょうか。眉毛もまつ毛もだよ?全身脱毛だよ? それともラーメン全数検査する? 麺伸びるよ?

髪の毛が混入しないよう努力はするし対策もとるけれど、ゼロにしようと思うと、無限の努力が必要になります。ラーメン屋の店員がすべてを投げうっても、体毛の果てまでなげうっても、ゼロにはならないです。だから、努力はしつつも一定数の混入はあるものと諦めなければいけないということです。これを残酷というなら、僕は残酷な人間なのでしょう。

話がラーメンの方に逸れましたが、誰かがどこかで傷ついていても、一定数には目をつぶりながら進んでいくのが人間社会だと思います。残念ながら世界は残酷です。それを忘れているのか、そもそも認識できていないのか、今度のことで大騒ぎしている人は、どれなのでしょう。志村けんが死んだことで大騒ぎしている人は何を考えているのでしょう。普段から世界にたくさんいる傷ついた人のことは目にも入らないのに、わかりやすくテレビで放送されたら、かなしいかなしい大変だと急に騒ぎ出すのは、僕から見ると、異常なことです。その辺で野良猫が車にひかれて死ぬのは、げえと嫌な顔をして終わりなのに、事故で後ろ脚に障害を持った犬が飼い主とまた散歩をしたくて懸命にリハビリを重ねる姿をテレビで見て涙する人たちのことを、僕は軽蔑します。それと、冬の人込みが危険なのは今に始まったことじゃないのに、急に人込みを避けるようになった人のことも、軽蔑します。世界に対する認識が甘いか歪んでいるかです。実際問題、僕だっていまコロナウィルスに感染したくはありません。南インド屋の売り上げが落ちたら嫌です。感染したら職場に迷惑がかかるから人込みに行かない、という判断をしている人も多いと思います。それはもう、恐れているのはコロナウィルスではありません。

相互監視が効率的

歴史が教えてくれています。こういうときにどうすればよいか。それは密告制度を作ることです。パノプティコンより効率的です。そろそろ自警団とか隣組とか、そういう時期かと思っています。魔女狩りが日本で行われたら、真っ先に火で焼かれるのは自分だろう、という自信があります。絶対にとなりの住人は僕のことを密告します。だから、そういう社会にならないことを祈っています。

じゃあどうするの

文句ばかり言っていても仕方ないので、どうすればよいか個人的な意見を書いておきます。「良く食べて寝て、普通に遊んで健康でいよう」です。医療技術を持たないふつうの人間に出来ることは結局のところ、自分の免疫力を高めることだけだと思います。テレビで死者数を延々と繰りかえすのでなく、「みなさんよく寝てください」「毎日楽しいことをして笑いましょう」と言ってみてはどうでしょうか。テレビならそれが出来るはずです。延々と繰り返せば、そのうちドラッグストアに並んでいた人まで、「寝てれば治るのよね」なんて言い出すと思います。テレビの実力は折り紙付きです。それと、娯楽は贅沢品でなく必需品です。人間には娯楽が必要なのです。無理におさえつけてどうにかなるものではありません。だからフットサルコートと六花亭喫茶室が再開してほしいのですお願いします。

一日も早く世界が元通りになりますように、正確に言うと、皆様の頭の中が元通りになりますように。いや、元通りになったらまた24時間テレビがはじまってしまうので、よりよい形となりますように。あと南インド屋の商品を買ってくださいお願いします。