雑記2020/10/01「掛け布団の不均衡」「金銭感覚」

○かけ布団の不均衡

多分人よりも多くのものをもって生まれてきて、楽をさせてもらってるな、という感覚がある。たまたまそういう個体で良かったなと思っている。色々と苦手なこともあって、社会性の低さ、ストレス耐性の低さ、肌の弱さ、この3つが弱いところだと思う。後ろの二つが重なるとどうなるかと言うと、眠りに問題を抱えやすくなる。不眠症ではないし睡眠導入剤も飲んだことないけれど。最近寒くなってきて、布団を増やしたらまだ暑いから、シーツを掛け布団代わりに一枚足していた。シーツええやん、薄いから微調整やん、と思っていたのだけど、ボックスシーツは、偏る。畳みたいに真四角なシーツなら良いのだけど、ベッドに使うボックスシーツは山あり谷あり、マチもある。だから偏る。偏ると体にかかる重みが不均等になって寝返りで巻き込む。それで半覚醒状態になり、ここひと月くらいずっとぼんやりしていた気がする。一昨日それに気が付いてシーツをやめたら、すっきりと寝て起きられた。布団じゃないものは布団にしないほうが良い、そんなことに気が付いた32歳。最初に書いた、持って生まれたもの云々は撤回したほうが良い気がする。

○金銭感覚

毎日お風呂に入る贅沢を、日々感じている。良いよねお風呂。ためらわずにお湯をはるようになってから、多分一年たっていない。お茶をためらわずに沸かすようになったのもここ一年か。あれか、僕はガスへのこだわりがあるのか。前世はガスが無くて死んだのか。最近は、外でコーヒーを飲むことも出来るようになってきたけど、まだ少し引っかかる。洗濯機をドラム式の高いのに替えるのには、そこまで抵抗が無かった。これで時間が浮くと思えば平気だった。洗濯機は道具であり、贅沢品ではないからかもしれない。洗濯機の買い替えには、時間を作りたい、という目的があったからかもしれない。コーヒーに目的はあるのかというと、ある。楽しい気持ちになりたいという目的がある。だからコーヒーだって良いじゃないのかと思うのだけど、まだ引っかかる。もしかしたら根がお坊さんで快楽を否定しているのか。いやそんなことは無いはず。きっと稼ぎが足りないからで、もうちょっと頑張って稼いでみよう。外で飲むコーヒーが平気になったら、次は、ちゃんとおいしい鮨を食べたい。ちゃんとおいしい店を探すのも大変そうだけど。そして、どこまで行っても、使い道として、子供とかマイホームは出てこなさそうな気がする。

○ビリヤニレッスンと料理教室

次のビリヤニ、すごく良くて、もうこれで決定版でいいじゃん、終わり終わり、という気持ちになっている。作りやすくて簡単だしおいしいし、見た目も良い。このタイプのビリヤニはかなり研究したつもりだけど、改めてやってみると、まだ改良の余地はあった。お金をもらっているからここには書けないけれど、米を茹でるお湯の塩分濃度の最適解がわかった気がする。予算がついた研究をしているようなものか。そして、最近やっている非営利の料理教室。ちょっと僕が飽きてきていて、なぜかと言うと、新しいことをやっていないから。僕はたぶん頭の仕組みとして、常に工夫したり新しいことを探したりしていないと、退屈して、小学校の授業中の気持ちになってしまう。あれは辛かった。だからつい、料理教室も、新しいことをやりたくなるのだけど、そうすると他の仕事に障るから、新しいことはできない。どうしようね。優れたパートナーがいれば解決するのかもしれない。僕と得意なことの分野が重なっていない、実務に長けた人。店員Aはパートナーでなく芸人仲間。もっとこう、サポートに向いている人がいれば良いのかもしれない。そういう、無いものねだりの話。