工場長にはウィスキーを

おいしいウィスキーは、本当においしいですよね。

前のコラムで、食べる人とお金を払う人が違う贈答用のお菓子は、高いわりにおいしくない、という話をしましたが、ウィスキーやブランデーも、その類かもしれません。

30年もの40年ものになると、贈答用の匂いがしてきます。

まさにそういう、贈答用としてお金を使った話です。しかも社内での手土産として。

 

会社勤めをはじめて半年ほどのことです。東京の10月は暖かいんですね。

まだ新入社員は、文字通り新入り扱いされるのですが、営業配属だった僕は、すでに顧客を持っていました。ちゃんとサラリーマンをしていました。

そこで、海外研修として一か月の海外研修です。顧客はどうするんだ、と思いますが、研修なので仕方がありません。3人目の子供が生まれたばかりの栗本さんに、仕事を丸投げします。すまんね。

行く先は、東南アジアの工場です。やった、パクチーだ!と小躍りする気分なのですが、社内の空気としては、海外赴任をドサまわりのように扱っています。みんな米の飯と味噌汁が好きなんですかね。

新入社員は3人ごとに分けられ、各拠点に送りこまれます。

問題は、現地の日本人社員への手土産です。

菓子折り程度で良いじゃん!と主張するのですが、一緒に行く二人は、戦々恐々としています。高価な品を献上しないとひどい目に合う、と言うのです。そうなの?

まあ、そこまで言うなら任せるよ、と言って、彼らが選んだのは、たかい箱入りの大吟醸を三本です。ぜんぶで3万円を越えたと思います。いやあ、張り込むねえ。

そして出発3日前くらいに、一緒に行く巣鴨くんから電話です。いちいち僕に突っかかってくる、頭の良くない、英語キャラです。

いわく、

「やっぱり日本酒は駄目だって。工場長って、めっちゃ日本酒に詳しいみたいで、持ってきたのが気に食わないと、見向きもしないんだって。だから、日本酒のほかに、工場長用にウィスキーもっていかないと。高橋先輩が言ってたんだけど、日本酒はやめた方がいいって。最近はウィスキーの響の、30年ものが好きなんだって。それも買って持っていこうと思うから、お金集めるよ」

そりゃあ、30年ものはうまかろう。嬉しかろう。ただ、明らかにやりすぎです。得意先にもっていくならまだしも、社内で30年もののウィスキーをやり取りして何になるよ。すでに一人一万円以上払ってるんだぜ。だからやめよう、と説得しました。巣鴨くんは、しぶしぶ、響を買うことを諦めてくれました。

そして出発当日、顧客も上司に預けて晴ればれとした僕に対して、浮かない顔の、一緒に行く二人。巣鴨くん、チケットを受け取る段になって意を決したように、

「やっぱり響を買う!おれ達ふたりで買うから、八島さんは払わなくていいよ。高橋先輩が、日本酒は駄目だって言ってたんだもん」

ここで僕は、すぐに高橋先輩とやらに電話です。

おたく、なに新入社員を脅すようなこと吹き込んでるんですか(僕も新入社員だけど)。そもそも、その情報は確かなのか。金を出すならまだしも、口だけ出す先輩ってどうなのよ。

「いやあ、おれは、ただアドバイスしただけだから、強制ではないよ。たしか、日本酒はいまは飲んでないって誰かが言ってたような気がするって言っただけだから、べつに強制はしてないよ」

それでも巣鴨くん、響を買うことにこだわります。二人とも、青い顔をしてます。僕たちは今から、どこに行くんだっけ、と不思議な気分です。キューバの葉巻をくゆらせた工場長がいるのかな。

八島さんは払わなくていい、と意気込んで免税店に突入するも、値札を見てびっくりしています。ふたりとも、悲壮な顔で値札を見つめています。もちろん、10万円を超えています。

あら、値段調べてなかったんだね。それならこっちにしなよ、21年もの、味は変わらないって(嘘)。それもハーフボトル、これならひとり3000円くらいだよ、これなら僕も払うよ。どうせ、サイズなんてもらった方はわからないよ(大嘘)。

という僕の提案にのり、結局21年もののハーフボトルを購入したのでした。

僕なら、ここぞという時に、21年もののハーフボトルを持ってくる人は信用しません。それなら手ぶらの方が良いと思います。

結局、現地の日本人社員たちは、日本酒をもらっても、ウィスキーをもらっても、顔色も変えませんでした。あ、なんか持ってきたんだ、という程度です。

見ると、日本人用の食堂の片隅に、未開封の日本酒が、ごろごろ転がっています。響のハーフボトルは、工場長が持って行ったらしいですが、そもそも、工場長の姿を見たのは、一か月で3回ほどです。接触は、ほぼゼロです。

工場の日本人食堂には、Tigerのビールサーバがありました。

みんな、嬉しそうに飲んでいます。巣鴨くんも、居酒屋アルバイトの経験をいかして、先輩社員たちにビールを注いで、かいがいしいです。東南アジアの、湿った熱い空気には、Tigerの、うすいビールが良く合います。

これは、日本酒なんか飲まないよなあ、と、肌で感じました。ウィスキーを飲むより、モヒートの方が合いそう。きっと今でも、あの工場の片隅には、僕たちの買った日本酒が転がっているはずです。