雑記2026/09/04「ひとを羨むということ」「今後の方針」

・ひとを羨むということ

他人を羨ましいと思うことが極端に少ない。いいねーいいなーくらいの気持ちがマックスで、負の要素が全く入ってこない。38歳独身、母親と二人暮らし、給料(役員報酬だから給料だよ!)は少ない、友達はほとんどいないし大体どこにいても浮く、これはもう羨むべきものだらけのはずが、本当にそういう気持ちにならない。ある立派な企業に勤める友人が、僕がそういう気質であることを知った上で、自分のお賃金がとても良いことを教えてくれた時も、本当に心の底から「よかったねー」「すごい」「やるじゃん!」みたいな気持ちになった。でも、最近気がついたことがある。家で大きめの動物、馬とか牛とかヤギとか、そういう愛玩動物以外の動物を飼っていると聞いたり、twitterでそういう画像を見ると、ムラムラと何かの気持ちが湧いてくる。これが羨ましいか!と気がついた。ペットではそういう気持ちにならない。はあ、犬ですか、猫ですか、可愛いですねと思うだけで、大きい犬なら、ほんのりと少しだけなるかもしれない。鳥ではダメで、哺乳類が望ましい。多分大きければ大きいほどいい。大きい動物と暮らす人間に比べるて我が身を顧みると、狭い庭こそあるものの、動物は一匹もいない。馬も牛もロバもいない。なんとつまらないのだろう。すずめとヒヨドリと、時々四十雀もくるけど、そうじゃない。負けだな、と感じる。人間として負けているなと思う。やはり羨むという感情にはそういう負の部分が必要だと思う。実際には自分の生活がつまらないなんてこれっぽちも思っていないけど、一瞬だけ、そういう、自分の暮らしがつまらないものに思えることは否めない。理屈じゃない、もっと本能的な何かを擦られている感覚がある。さらに考えてみると、僕は、背が高くて胸板の厚い男性を見ると、いいよね!と思う。身体能力が高い人もいい。歌が上手いのもうらやましい。僕もこうありたかったなという気持ちが、ほんのりとにじむ。インド料理業界の端っこにいる人間だから、テレビに出るような人や、多店舗展開をする人、本を出す人、羨むべき人はたくさんいるはず。結婚して子供がちゃんといるようなひとを羨んだっていい。でも、僕が羨ましいという気持ちになるのは、背が高いひと、力が強いひと、歌が上手いひと、庭に動物がいるひとに対してであって、つまり原始的なものにしか反応していないのだと思う。これは現代社会で生きる上で、決定的な欠落なのだろう。「でかい馬飼ってるのすげ〜勝てね〜欲しい〜」みたいな気持ちを、もっと違うところで感じないと、現代社会ではやっていけない。これは達観しているとかそういう問題ではなく、欠損の話。

 

・人間に対する理解

若い頃に比べるとだいぶ人間への理解が深まってきたなと思うのだけど、まだ足りないと日々感じている。菊水(札幌では治安があまり良くないと言われるところ)で、道ゆく子連れの金髪の母ちゃんをみて、ふと思った。近くに住む叔母夫婦はヤンキー趣味で頭が悪く、品のよくない感じの人たちなのだけど、なぜか子供(つまり僕のいとこ)を高学歴な人間に仕立て上げたかったようで、大変苦労をしていた。ちなみに叔母夫婦は薬剤師である。叔母夫婦は、自分たちがそんなヤンキー趣味のかんじなのだから、子供だって同じようにヤンキー風味に育てれば何も問題はなかったんじゃないかと僕は思い至ったのだ。自分の例(北海道大学を出て変な自営業)を持ち出すまでもなく、大学の名前なんて人生において本当に瑣末なことだと思うし、大学名が効いてくるようないわゆるエリートの道に行けないのなら、あとはもうどこに行ってもそこまでの問題ではないだろうと。だから、もっとこう、伸び伸び育てればよかったんじゃないのかと。僕の母・店員A(つまり叔母の妹。関係性を表す言葉って難しいね)は、呆れたように言った。彼らは自分たちをインテリ層だと自認しているんだよ。薬剤師だから当然インテリであって、当然子供たちもインテリ層になるべきだと思っているのだ、と。母は続ける。なるほどたしかに彼女はでかい蝶々が背中に入ったシャツを好んで着るようなタイプではある、子供をジャニーズに入れたいと思ったりもしていた、それでも、それでも自認はインテリなのだよと。僕はさすがに聞き返す。ゲームセンターのメダルゲームに入り浸っていてもインテリ? ー然り。簡単な展開図の問題がわからなくてもインテリ? ー然り。セイコーマートコーラを飲みながら朝まで信長の野望をやって日中は仕事をサボっていてもインテリ? ー然り。偏差値がアレな感じの大学だったとしてもインテリ?ー然り。ううむ、それなら仕方ない。きっとインテリなのだろう。人間は難しいな。少なくともそう扱わないと摩擦を生む可能性があるということだ。もしそういう人が僕の上司だったらと仮定すると、うまく付き合っていける自信がない。先に書いた、人を羨む気持ちがないこととセットで、多分僕は、人が大事にしているものを平気で踏みつけかねない危うさがあるのだろう。羨ましいと思わないのは、価値を認めていないこととかなり近い。そうだね、僕は、南インド屋の仕事を頑張らなければいけないね。変人は結果を出して初めて、社会で生きることを認められる。

 

・今後の方針

法人として5期が終わり、6期目に入っている。生き残ってるね。すごいね。人間二人がヘラヘラしながら暮らしていけているからとりあえずはそれで良いのだけど、事業の継続性という観点からは、このままでは心許ない。頑張りたい。やっていなかったこととして、スパイスレッスンやビリヤニレッスンの動画配信、オンラインレッスン?的なものをやろうかと思っている。細かいことは何も決めていない。動画はどこかに置いておいて、後で見返せるようにもしたい。基本的には紙のレシピで完結するようにしたいし、多分スパイスレッスンを好んで買ってくれている人は動画が苦手で文字の方が好きな人だと思うけど、まあ、違う層にも商品を買って欲しいからね。実地での料理教室は札幌と東京、大阪(尼崎)でもう少し続けていこうと思う。去年1年間、結構な頻度で開催していたから、今年は少し頻度を落とすはず。あとは、ビリヤニレッスンとかのショート動画での広告を出してみたい。インスタグラムで。それ以外は継続路線。と言いながら、そろそろ仕事を畳んでまともな勤め人になろうかなと考えることもないではない。六花亭で働こうかな…と。いや、上司が元ヤンのインテリ自認だった時に対応できそうもないのだった。twitterからinstagramに移行するか?ということも時々考える。あとはブログを書くべきかもしれない。反応がわかりやすいからついSNSに書いてしまうけど、本当はブログに残した方が後で遡りやすいから、SNSに放流するのではなくブログに溜めた方が良い気はしている。