雑記2020/06/29「村上春樹じゃん」「メッシ研究2つの仮定」

○村上春樹じゃん!

先月、ホテルニューハンプシャーを読んだ。村上春樹はホテルニューハンプシャー大好きだったんだろうなあと思った。いまレイモンドチャンドラーの長いお別れを読んでいる。ロンググッドバイではない方。村上春樹じゃん!と思った。もう言い尽くされて言い古されているだろうことだけど、村上春樹はこういうのを読んで好きになって、それを日本人で書いたのね。VANの創業者がアメリカの道行く人の服装をスケッチして帰ってきて真似したらヒットした、という話を連想する。いいないいな、僕も真似したい。

 

○メッシ研究における2つの仮定

今、メッシの研究をしている。研究とは何かというと、僕がメッシの動きを真似できるようになること。さあ笑え、笑うがいい。僕みたいに細長くて薄いからだで、訓練を受けたこともない人間がメッシの動きをしたら、みんな僕の話を信用するでしょうきっと。どうやってやったの?と訊かれたら、事細かに説明して見せる、予定。たぶん。目標は、「メッシの動きを誰でも真似できるようにして世界にメッシを50人作り、サッカーのゲーム性を変える」こと。

サッカー界に天才はたくさんいるけれど、メッシは扱いが違う。メッシは別物で、メッシは理解できない、というのが定説だと思う。本当にそうなのか。いやそんなことはない、と僕は信じている。わかりにくいけど、メッシの動きにもメカニズムがある。そのメカニズムを抽出すれば、僕も、似たような動きができるはず。同じにはならないけど、同じ仕組みでは動けるはず。メッシは確かに突出した天才、天才オブ天才だと思うけど、他の天才と同様、ふたつの仮定ができるはず。

その1「メッシは頭を使っていない」

彼らはあまり複雑な判断はしていない。単純なルールに則って体を動かし、判断し、プレイしている。

その2「メッシとはいえ肉体は人間」

体つきによって向き不向きはあれど、僕みたいな体型でも彼らの真似はできる。特殊な肉体だからできる特殊な動きの仕組みでメッシが動いているのではない。

 

この2つの仮定が間違っていたら、僕の研究は爆発して四散する。だから、これは賭け。もし多くの天才やメッシが、非常に複雑な動きと判断を繰り返していて、複雑なダンスの振り付けを丸暗記するようにしてサッカーをしているなら、これはもう、手が付けられない。それこそ神に選ばれて小さいころから積み重ねていかないと実現しない。幸いなことに、多くの天才プレイヤーは、小さいころから天才であることが多い。ということは、小さい頃からある単純なルールに則っているのではないかと僕は考える。天才は感覚的にプレイすると良く言うけど、それはたぶん、「単純なルールだけ頭に入れてあとは感覚的にプレイしている」ということだと思う。そのうち論が進むと触れると思うけど、メッシも、2015年以降は特に、単純なルールだけではなく、反復練習で覚えた複雑な振り付けをするようになっている。それは先の話。まずは基本のルールに注目する。

今のところの進度、つまりどれくらい真似できているか。サッカーとしてはかなり上達したけど、まだメッシらしさは出てきていない。左足でのプレイもまだぎこちない。たぶん3ヵ月以内に、かなり進むと思う。いま、すごく良いところ。きっと僕の動いているところを見ている人なら、「かなりうまくなったけどメッシの真似をしているとは思わなかった」くらいの印象だと思う。良いのです。短期の成果は求めないと決めているのです。今はぎこちなくても、きっと正しい道だと信じているから、遠回りでも停滞でも道を戻るのでも、なんでもする。こうご期待。