雑記2019/01/06-2「肌から1ミリの意思」「ビリヤニの幸せ」

2019/01/06-2

●肌から1ミリの意思

仕事となると気を張る。普段は張らない。1月2日の12時に開店となれば、それに向けて周到に動く。もう絶対にそれに間に合うように動く。お客様を迎えてお金をもらうから。だから頑張る。意地でも、絶対に、なにがなんでも、どうにかする。そういう考え方をしている。そういうところを指して、神経質とか完璧主義とか拘りが強いとか言われるのかもしれない。僕は、学生のころは学業優秀だった。なぜ他の人が点数がとれないかいまひとつピンと来ていなかった。点数を取るのは簡単なこと。できるように工夫すること。できるようになるまでやること。だから、1月2日の12時に向けて、やる。やるったらやる。ところが、南インド屋は、ぼくひとりのことではない。店員Aがいる。ふたりでないとできないこと。だから僕は、意思を拡張しようとする。店員Aにも僕と同じ考え方を求める。やるったらやる。でも、そうはいかない。人間は、目的地が決まっただけでは動かない。だから僕は南インド屋をやっているとき、すごくきりきりした。あれから二年間。年をとって大人になった、もしくは鈍くなった。もう、絶対に何が何でも、とは思えない。やるべきことは徹底的にやるし、ダルもサンバルもラッサムも、おいしく作る。ただ、範囲は限定的で、それを自分の外には求めなくなってきているのだと思う。それでも、やっぱり、久しぶりの南インド屋営業だから張り切って、準備に向けてきりきりしていた。だいぶした。それ以外に完成度を高める方法を知らないから。でも、開店の日の朝、地下鉄に乗る前に「なんだかいやになったなー」と思った。だからやめた。僕の職分は料理を作ること。たまにサーブもする。だから、ホールの仕事は店員Aの職分で、僕がきりきりすることではない。意思は、自分の肌から一ミリだって外にはいかないと知るべし。そもそも自分のことだってコントロールをできていない。そう思うと、すごく楽になった。料理はきちっとやるけど、12時に開店出来なくてもそれは仕方ない。それはホール担当が工夫すればよい。今回、たった4日間の営業だけど、まあ大変だった。わかる人はわかると思うけど、間借りで正月にコースをやるなんてほんと無理。だれだ考えたやつ。肉体的にはすごく大変だったけど、昨日終わっての今日、燃え尽きたりはしていない。すぐに次のことを考えている。あっさりミールス好きのインド人が作ったような和定食を作ろうかな、なんて考えている。味噌汁の具はトマトか。青菜をうすい出汁で煮てたっぷり出すか。そう、意思の範囲の話。職人と呼ばれる人が頑固で変化を嫌うのは当たり前で、そうでないと自分の仕事の質を担保できないから。だから、食材の仕入れは自分でやりたいはず。ムングダルだってけっこう変わる。粒が大きかったり小さかったり、青臭かったり甘かったり。生の野菜なんてもっと変わるし、僕はわからないけど魚だったら、さらにもっと変わると思う。だからせめて、いつもの場所でいつもの包丁でいつもの服でやりたい。そうやって、変数を、出来るだけ減らすか、どうしようもない部分は自分の目で見て確認する。そうやって初めて、自分の中の必勝パターンに持ち込める。それが職人気質だと僕は思っている。そういう意味では、僕は料理については職人的だと思う。そして、職人は、札幌駅地下街のレストランの店長には向かない。たぶん一日目で破たんする。自分の意思で制御できる範囲を知らなければいけない。僕の祖父は地方都市の日赤の理事長だったらしく、非常に仕事熱心だったらしい。貼り紙が曲がっているのが許せなかったらと。わかる。話を聞いていて思うのは、彼は、自分の意思を拡張しようとしていただろう、ということ。たぶん剛腕。ある意味ですごく横暴。僕は祖父と似ているらしい。祖父は62歳で癌で死んだ。たぶん僕もさっさと死んだと思う。同じことはやりたくない。できるなら、ひとりで完結する世界で遊んでいたい。家庭料理は良い。文章も自分の好きに書く分には良い。フットサルの動きを研究するのだってひとりで完結する。歌も好き。でもそれではお金にならない。剛腕の社長になるには、僕は線が細い。だから、ひとと協働するなら、自分の意思は自分の中に留めることを忘れないでいこうと思う。

●ビリヤニの幸せ

ビリヤニはおいしい。料理教室に参加してくださった方が、正月営業にも来てくれた。そして面白いことを言っていた。あのビリヤニを知ってから他の店で食べても楽しめなくなった。手のかけ方が違う。本当のビリヤニを知ったことは、幸せだったのかどうか、と。わかる。よくわかる。僕の読みでは、ぎりぎりマイナス。