単独インタビューを頂きました

ずっと待っているのですが、なかなかインタビュアーが来ません。

仕方がないのでひとりではじめることにします。


 

おせちも雑煮も年越しそばも食べませんが、食べ物に関しては保守的です。おいしいと知っている店には気軽に行きますが、新規開拓には慎重です。そういう意味で保守的なのです。そうして、同じ店にしょっちゅう行くことになってしまい、顔を覚えられることが多いです。「いやいやどうもどうも!おやじいつもの!え?いつものないの?えー、じゃあ、それそれ!そっちの!いやいや寒いね」と出来れば楽なのですが、できるだけ顔を覚えられたくない性格で、それならその覚えやすい坊主頭をどうにかしろ、と言われそうですが、この快適さは手放せません。起きて5分で出掛けられます。最高です。

話が見えてきませんね。何の話かというとつまり、お店の人と話をしたいかどうか、ということで、先日久しぶりに店員Bに戻ったところ、同じような質問を何度か受けまして、そういえば店に立つと興味を持たれることがあるんだったなあ、と思い出しました。インタビュアーがいなくても気持ちよく一人語りが出来る性格なので、ひとりでぺらぺらと語ります。

―どうしてインド料理をはじめたのですか?

そうですね、この質問には、ふたつの意味があるのだろうと思います。つまり、どのような経緯でインド料理業界に入ったのですか?という質問と、どのようにしてインド料理を習得したのですか?という質問ですね。

まず、わたくしたち南インド屋両名がインド料理業界に入っているかというと、微妙なところです。自分で店を構えたわけではなく間借りですし、どこかの店で修行したこともなく、さらに言うとインドに行ったことすらありません。なので、どういう経緯でミールスを作りはじめ、そして看板を揚げることになったのかという話になります。

南インド屋の調理担当、文章担当は八島壮二郎と申しまして、二十九歳です。札幌東高校から北海道大学に入り、あれ?ぼく大学に入ったの失敗だったかな?と思いつつ一応は卒業した後に、一年半、東京でサラリーマンをしていました。そういえば、勤めていた会社の上司と、職場近くの焼き鳥を出す居酒屋で、6時までのハッピーアワーで300円くらいのビールを飲んでいるときに「おまえ、その、サラリーマンて言い方やめろ。馬鹿にしてんのか。すくなくとも俺たち営業所の人間は、ひとりも自分のことサラリーマンだと思ってないぞ」と言われました。座布団が薄くて埃っぽい店でした。はあ、そういう考え方もあるのだなあと思いました。6時になる直前に、黒霧島を4、5本とホッピーを大量に注文するので、会計はえらく安くなります。

そして、たしかはじめてミールスを食べたのは、八重洲の地下街にあるエリックサウスでして、これはうまいものがあるなあ、と思いました。それから渡辺玲さんの「カレーな薬膳」をamazonで発注し、ネクタイをつけたままベッドの上に座って読みました。次にケララの風Ⅱに食べに行き、水っぽくてうまい!と思いました。なんとなく思うのですが、4年前くらいのケララの風のミールスって、いまより薄かったような気がします。もっとこう、最後にお湯をざっと入れて塩をひとつまみ足して、それでカトリに入れたような味だったと思います。あとは、新丸子にあるマドラスミールスで食べて、時間の止まったような味だな、と思ったのはおそらく、作り置きばっかりだったのだろうと思います。この時点で自分の好みの方向性がわかった気がします。

その後、何度か自分でサンバル、ラッサム、ダル、あたりをつくりまして、そうこうしているうちに仕事を辞め、辞めた二日後くらいには飛行機に乗ってフランスに行っていました。パリの二区のアパルトマンでひと月ほど散歩と昼寝をして、その後ルーアンに移り、せこ&まにゅという夫婦に御厄介になりました。そこで、クートゥやポリヤルをフレンチっぽく盛り付けて喜ばれ、ホームパーティーではチキンカレーを作りました。ココナッツとトマトのグレイビーでした。いま考えると、はじめてつくるものを他人様に食べさせていました。恐ろしいですね。持って行った「カレーな薬膳」は、ご夫婦に差し上げました。

そして帰国し、ちょっと実家に戻るか、と軽い気持ちで札幌に戻って、「ねえみさお、こういうおいしいものがあるんだよ」と母にミールスの話をすると、それを母が友人に話し、その友人は広い家に住んでいる人で、そこで人を集めて料理をしよう、ということになりました。

この時点での僕の調理経験は、たぶん10回にも満たなかったと思うのですが、根拠のない自信でもって「コース仕立てにするよ」と大見得を切り、人参のクートゥ、キャベツのポリヤル、カリフラワーのサブジあたりを前菜、メインに鱒のココナッツカレー、デザートにパイナップルのスパイス和え、を出したような気がします。フィッシュカレーなんて全然作ったこともないのに、ぶっつけ本番です。意外とおいしく出来ました。ただ、出すまでに時間がかかってしまったのを覚えています。

この時の食事会の写真を誰かがfacebookにアップし、それを家庭料理の「とれび庵」オーナである近間さんが見て、「うちでやりなさい!」と声をかけてくださって、さあ札幌に戻ってきてまだ二週間、なぜかカレー屋をはじめることになり、それが南インド屋でした。近間さんの決断力はすごいです。ありがとうございます。

ここまでがミールスを作り始めた経緯で、おそろしいことに、ここまでのことに、僕の調理技術習得のすべてが入っておりまして、それはつまり、完全な素人だった、ということです。いまでも素人に毛が生えた程度ですが、それどころでなく、本当の素人だったのですね。

ここから先の技術習得については、コラムにしてありますので、良かったら読んでみてください。

―昔からカレーが好きだったんですか?

カレーも好きでしたし、それだけでなく、スパイスやハーブをつかったものが好きでした。麻婆豆腐も好きです。

僕が小学校にあがる前に両親が離婚し、それで札幌に来て、母はフルタイムで働くことになったので、自然と料理をする機会が増えました。このあたりのことは、母のブログに詳しいです。三兄弟で、良く言えば切磋琢磨、ありていに言えば貶し合いをして育ち、いまでは三人とも料理を趣味のようにして暮らしているようです。あとの二人は、福岡と長野にいます。

いわゆる普通のジャワカレー的なカレーにスパイスを足すことからはじまり、たしか高校に入ってから、ホールスパイスにも手を出しました。生姜とクローブを山ほど入れた、食べにくいほどにスパイシーなチキンカレーを作って、食べにくさこそが本格的であることの証拠である!という間違った思い込みのもとに、何度かそういう、まずいカレーを作りました。その後、ひよこ豆や、人参、ポテト、インゲン、チキン、の入ったカレーが家庭内で流行りました。きっとあれは、今食べてもおいしいはずです。

―なるほど。子どものころの原体験が、ミールスにも活かされている、ということですね

そうとも言えると思います。もともと、父親がおらず、縛りの少ない家だったこともあり、一汁三菜の考え方が薄く、多国籍な食卓だったのは大きいと思います。それと、お金もないくせに台所の引き出しの中身だけは充実しているような家でした。エンゲル係数がきわめて高かったろうと思います。

そういう家に育ったので、いまでも、和食は好きですが、たくさんある料理のひとつ、という位置であり、大好きな定食屋さんで月に2,3回食べれば、それで十分です。フランスに行った時も、会社の研修でベトナムに一か月居た時も、和食が恋しくなることはまったくありませんでした。

それで、実際にミールスの味に影響を与えているかというと微妙なところで、ミールスについては自分で研究してインドの味を真似しているので、そこに、育った環境による影響を見つけるのは難しいような気もします。

―ブログでレシピを公開していますが、なぜ無料で公開しているのですか

オリジナリティの薄いものだから、お金をとることなく公開している、というのが正直なところです。もちろん自分で考えた工夫は入っていますが、基本的には、インド人の集合意識のようなものが生み出したのを、僕が拝借している、という認識です。それに、いまはネット上にいくらでもレシピは転がっていますし、ただの分量の羅列には、あまり価値がないと思っているからかもしれません。

ただ、もし、このレシピは金を生むぞ!という感覚があれば、がんばって本にしてお金にしたかもしれませんが、正直に言って、「南インド料理?この田舎侍があ、ふぇふぇふぇ」という気持ちがありまして、それなら公開してもいいや、となった、というのもあると思います。

それと、ケララの風Ⅱの沼尻さんが、お金も取らず。ほぼ見ず知らずの僕に厨房を見せてくれて、訊けばレシピも教えてくださったのも大きいと思います。僕には、南インド料理を広めたい!という情熱はありません。ほぼありません。そういう情熱はなくとも、適当なことでお金をとることはできないな、と思うのです。

―レシピ本の出版は考えていないということですか

本って良いですよね。紙媒体にするかは別として、レシピ本自体は楽しいものなので、作っても良いかなとは思っています。ただ、基本的には、情報としてはすべてブログに盛り込んでいるので、あとは、それをいかに見やすくするか、情報を活用しやすいかたちにするか、という問題だと思っています。南インド屋のブログは、見た目も地味ですし、ぱっと欲しい情報にたどりつける作りにはなっていません。それを、ちゃんと物語にして読みやすく本にすることには価値があると思うので、出版も考えています。

どんな本にすれば売れるか、と考えると、美麗な写真で「わあ作ってみたい」というようなレシピ本は、おそらく他の著者にやってもらった方がよいと思っています。住み分けですね。どちらかというと、専門書に近いような、そういうものになるのではないかと思います。なんとなく、ビレッジバンガードですね。

ミールスを作りたい人向けに、ちゃんと体系的に、網羅的に解説をする本が理想です。そういう意味では南インド屋のブログは、まだ全然足りていません。ポリヤルの項には、スーパーで手に入る野菜全部が揃っていて、それこそ白菜のポリヤルなら、ちょっとマスタードと塩を強めに、とか、レンコンのポリヤルとかゴボウのポリヤルは、切り方を5mm以下に、とか、そういう情報を全部盛り込みたいです。これ、売れますかね。売れないような気がしますね。まあ、追々、ということで。

―今後、店をもつことは考えていますか

また飲食店をやりたいな、という気持ちはありますが、僕が厨房に立ってミールスを作る店は、おそらくもうやらないと思います。体質的に、睡眠時間が九時間を割ると体調が悪くなってくるのと、そもそも肌が弱いので、あまり厨房に立つのに向いていないのです。

自分に出来ることは、店のコンセプトを決めたり、メニューを決めて原価計算して、どうやって調理してどうやって出すか、いわゆるオペレーションを考えたりすることですので、それに特化したかたちで飲食店に関わろうとは思っています。実際に板を切り出したり、塗装をしたり、配線をしたり、という分野には弱いため、そういう分野に強い人、それに不動産関係の人が助けてくれれば、もしかすると、南インド屋的な店が、どこかに生まれるかもしれません。

それと、毎週日曜日の10時半から、自宅でチャイ教室をやっていますので、そこで、なにか南インド屋的なものが食べられるかもしれません。

―チャイ教室ですか。さきほど仰っていたレシピの価値云々と、お金をとって作り方を教える、ということに飛躍を感じるのですが、その辺りはどう説明するのですか

チャイのレシピも同じです。分量自体ににはそこまでの価値はありませんし、情報は基本的にすべてブログにあります。ただ、それでも「実際にチャイを自分で作る」という心理的抵抗は、多くの人にとって大きいものであると想像しますので、チャイ教室に参加することで、その抵抗が薄れるなら、それは価値があるだろうと考えています。そのため、南インド屋のチャイ教室では、実際に、自分でチャイを作ります。二度作ります。コンロも鍋もひとり一つありますので、腰を据えて作ることができます。詳しくはこちらにあります。出張教室もやっています。

また、開催一週間前までのお申し込みの方に限り、オリジナルのチャイレシピをあつらえるサービスも行っておりますので、ご利用ください。ただ、薬事法との兼ね合いもありますので、そのあたりはよしなにお願いします。

―なぜインドに行かないのですか?行ったこともないのに作ってよいのですか?

インドに行かないのは、行きたくないからで、何故行きたくないかというと、肌が弱いのと自分の胃腸に自信がないからです。気軽に行ける人がうらやましいな、と思います。

そういえば、八重洲のあたりに出没する、占い師 兼 不動産屋 兼 按摩師のおじさんに引き合わされたときも、なぜインドに行かないんだと責められたことがあります。「それは箔をつけるために行った方が良いという意味ですか?」と訊き返したのが癪に障ったようで恫喝されました。名前も忘れたなんとかさん、お元気ですか? 僕は元気です。

必要性という点から言えば、行った方が良いとは思いますが、行かなくてもおいしいものは作れると考えています。詳しくは別項で述べています。インドに行くだけでおいしいものが作れるようになる訳ではないので、インドに行くことより重要なことが他にあるでしょう、という考え方です。

―インドが好きではないのですか?

インド料理は好きですが、インドは、とくに好きでも嫌いでもありません。ヒンドゥー的なミールスも好きですが、ムスリムディッシュも好きです。溶かしたバターをじゃばっとかける、Old delhiのバターチキンが食べてみたいです。おいしいビリヤニも食べたいですし、ロティとマトンカレー、みたいな、ふつうの食堂にも行きたいです。やはりインド料理は好きなので、バンコクあたりで胃腸を鍛えてから行こうと思います。